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大学受験 日本史 国公立2次向け 理解度チェックリスト(近世4)

以下の問に答えられますか

答えはリンク先の記事で

1. 享保の改革の特徴を説明できる。
2. 18世紀後半に顕著に見られるようになった、村社会と都市社会の変容を説明できる。
3. 百姓一揆の形態の変容を説明できる。
4. 享保の飢饉と天明の飢饉の概要と、都市における民衆の行動を説明できる。
5. 田沼意次の財政政策の特色を説明できる。
6. 田沼時代の少し前に朝廷でおこった事件を説明できる。
7. 寛政の改革の特徴について説明できる。
8. 松平定信の対朝廷政策を説明できる。


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前回(近世3)の解答

 

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1. 手工業は様々な道具を駆使する高度な技術をともなって発達した。鉱工業では製鉄技術が刷新されて、金銀銅の鉱山の開発が活発化した。


2. 平和の到来のもと、幼い将軍が就任し、譜代大名の集団が幕政を運営した。最大の政治課題は、牢人・とかぶき者による治安・風俗の悪化であった。


3. 由比正雪の乱をきっかけに末期養子の禁を緩和して牢人の増加を防ぐ一方、牢人とかぶき者の取締を強化した。また、殉死の禁止を命じて領地宛行状を発行して将軍の権威を確認した。


4. 儒者を顧問にしたり、有能な家臣を補佐役にしたりして、領内の支配機構を整備して藩主の権力を強化した。また、領内経済の発展をはかった。


5. 綱吉は儒教を重視し、礼儀による秩序維持の政策をとった。また、生類憐みの令や服忌令を出して、相手を殺傷することで上昇をはかるという、戦国期以来の価値観の転換をはかった。


6. 鉱山収入が減少し、明暦の大火からの復興と寺社造営で支出は増加した。幕府は勘定吟味役荻原重秀の献策をうけ、金の含有率の低い元禄金銀を発行した。幕府の財政は一時的に好転したが、貨幣改鋳による貨幣価値の下落は物価の騰貴を引き起こし、人々の生活を圧迫した。


7. 新井白石は将軍職の地位と権威の強化をねらって儀礼を整備した。元禄小判を改めて金の含有率の高い正徳小判を鋳造させた。金銀の海外流出を防ぐために、海舶互市新例を出した。


8. 新田開発による石高の増加や農具・肥料・農書といった農業技術の進歩により、農業生産が発達した。全国市場の確立や都市の発達で商品流通が拡大して、各地の商品生産が活発化し、特産物が各地に成立した。


9. 林業の発達にともない、材木を扱う都市の有力商人が多く生まれた。漁業では、漁法の改良や沿岸部の漁場の開発が進んだ。製塩業では入浜塩田が発達し、各地で塩の生産がおこなわれた。織物業では高機などの技術が生まれ、各地で高級な絹織物が生産されるようになった。朝鮮人陶工たちの技術の普及により、各地で陶磁器の生産が盛んになった。醸造業では、酒や醤油などの生産が各地で発達した。


10. 陸上交通の整備にともなって、通信制度がととのえられた。水上交通が整備されて物資の運搬が盛んになり、全国規模の海上交通が完成して遠隔地を結ぶ運搬が活発になった。このようにして、三都を中心にした全国的な流通網が完成した。


11. 金は計数貨幣で、銀は秤量貨幣であった。銭も計数貨幣であり、寛永通宝が鋳造されて全国に供給された。ただし、東日本ではおもに金貨が流通し、西日本では銀貨が流通してそれらの相場は常に変動した。各藩による藩札も城下町を中心とする領内で流通した。


12. 三貨間の両替や秤量を商売とした。有力な両替商は、幕府や藩の公金の出納や為替・貸付などの業務も行った。


13. 江戸は「将軍のお膝元」とよばれる、日本最大の消費都市であった。大坂は「天下の台所」とよばれ、物資の集散地として栄えた大商業都市であった。京都には天皇家や公家の居住地があり、寺院や大寺社が多く存在した。また、呉服屋や両替商など大商人の本拠地が多く存在し、手工業生産も発達した。これら三都は、全国を結ぶ交通網である全国市場の要であった。


14. 全国市場が確立すると、有力な商人らは問屋仲間を組織して、物資輸送の安全、流通の独占をはかり、その活動は全国に及んだ。それによって、三都や城下町に卸売市場が発達していった。


15. 幕政の安定を背景に、元禄期には、上方の町人文芸がさかんになった。文学では西鶴芭蕉近松らを中心に多彩な文化が展開した。また、歌舞伎が民衆の演劇として発達した。


16. 幕藩体制の安定とともに、上下の身分秩序や「忠孝・礼儀」を尊ぶ朱子学は、大義名分論をもとに封建社会を維持する教学として、幕府や藩に重んじられた。知行合一の立場で現実を批判する陽明学は、幕府から警戒された。孔子孟子の古典に直接立ち返ろうとする古学派が生まれ、その系譜の荻生徂徠は政治・経済にも関心を示して、当地の具体策を説く経世論に道を開いた。


17. 儒学のもつ合理的で現実的な考え方が、諸学問に影響を与えた。

 

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大学受験 日本史 国公立2次向け 理解度チェックリスト(近世3)

以下の問に答えられますか

答えは次の記事で

1. 手工業と鉱工業の発展の特徴を説明できる。
2. 4代家綱政権の特徴と、政治課題を説明できる。
3. 家綱の政策を説明できる。
4. 諸藩の藩政改革の特徴を説明できる。
5. 5代綱吉の政治の特徴を説明できる。
6. 元禄期の幕府の財政悪化の要因とその対策、影響を説明できる。
7. 正徳の政治の特色を説明できる。
8. 農業生産の進展について説明できる。
9. 農業以外の諸産業の発達を、林業や漁業、製塩業、織物業、窯業、醸造業から説明できる。
10. 交通の整備と発達について説明できる。
11. 金・銀・銭の三貨を中心とする貨幣制度の特色を説明できる。
12. 両替商の業務と機能を説明できる。
13. 17世紀後半に大規模な年に成長した、江戸・大坂・京都の三都の特色と、各都市と全国市場との関わりを説明できる。
14. 問屋と卸内市場から、商業の展開を説明できる。
15. 元禄文化の担い手と、元禄文学について説明できる。
16. 朱子学派と陽明学派・古学派を対比し、これらの学派の思想的特色や系譜を説明できる。
17. 歴史学や自然科学、国文学へ儒学が与えた影響を説明できる。

 

前回(近世2)の解答

 

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1. 征夷大将軍の宣下を受けて全大名に対する指揮権の正統性を得た家康は、江戸に幕府を開いた。家康は諸大名に江戸城などの普請を命じ、国絵図と郷帳の作成を命じて、全国の支配者であることを明示した。二年後には将軍職を子の秀忠に譲り、将軍職が徳川氏の世襲であることを示した。家康は駿府に移ったが、大御所として実権を握り続けた。方広寺鐘銘事件を契機に、大坂の役で豊臣方を攻め滅ぼした。


2. 一国一城令武家諸法度元和令を出し、大名などに領地の確認文書を発給した。武家諸法度寛永令において、参勤交代を義務付けた。


3. 大名に石高に応じて軍役を賦課し、30万余りの軍勢を率いて上洛した。


4. 強力な領主権をもつ将軍と大名が、土地と人民を統治する支配体制。


5. 400万石の直轄地と主要鉱山、重要直轄都市、貨幣の鋳造権が経済的基盤であった。


6. 職制は家光の頃までに整備された。役職には原則として数名の譜代大名が月番交代制で政務に付き、権力の集中を避ける構造になっていた。


7. 天皇の即位にも影響を与え、公家衆法度や禁中並公家諸法度も発布した。京都所司代に朝廷を監視させ、武家伝奏を通じて朝廷政治を操作した。


8. 官位制度・改元・改暦も幕府の承諾を必要とすることとした。


9. 幕府は後水尾天皇が届け出なく紫衣着用を勅許したことを問題にし、これに抗議した大徳寺の沢庵らを処罰した。後水尾天皇は突然譲位した。この事件により、幕府の法度が天皇の勅許に優先することが明示された。


10. 幕府はキリスト教の布教がスペイン・ポルトガルの侵略をまねく恐れを強く感じ、また信徒が信仰のために団結することも考えられたから。


11. 絵踏みの強化など、禁教政策が徹底され、いわゆる鎖国政策がとられた。また、寺請制度が設けられて、宗門改めなども実施された。


12. 漂着したオランダ船の航海士ヤン=ヨーステンとイギリス人の水先案内人ウィリアム=アダムズを顧問として、平戸に商館を開いて貿易を開始した。


13. サン=フェリペ号事件以来、通行が途絶えていたスペインに対しては、家康が田中勝介をメキシコに派遣し、伊達政宗支倉常長をスペインに派遣して交渉したが、いずれも失敗に終わった。


14. 糸割符制度を設けて、糸割符仲間に生糸を一括購入させた。


15. 幕府が発行する渡航許可証である朱印状をもった商人は東南アジアに進出し、海外に移住する日本人も増えて各地に日本町が作られた。


16. キリスト教を禁止するため、そして幕府が貿易の利益を独占するため。


17. 鎖国によって幕府は貿易を独占し、産業や文化に与える海外からの影響は制限された。国内ではキリスト教の禁圧が徹底され、幕府の統制力が一層強化された。


18. オランダに対しては、長崎に出島を置いて、貿易の利益のみを求めた。オランダ商館長は、海外事情を記したオランダ風説書を江戸に提出した。中国との貿易額は年々増加したため幕府は清船の来航を制限し、長崎に唐人屋敷を設けた。


19. 朝鮮とは己酉約条を結んで通交を再開し、およそ将軍の代替わりごとに、朝鮮からは通信使が訪れた。


20. 琉球王国島津藩に征服された。しかし、琉球は中国との朝貢貿易を継続しつつも、日本に対しては国王の代替わりごとに謝恩使を、将軍の代替わりごとに慶賀使を幕府に派遣するという、両属関係を続けることになった。蝦夷地では松前氏がアイヌとの交易を独占した。


21. 武士は政治や軍事を独占する支配身分で、苗字・帯刀などの特権をもっていた。その他、天皇家や公家、上層の僧侶・神職らも支配身分であった。


22. 農業などに従事する百姓や手工業に従事する職人、および商業や金融や運輸などに従事する都市の家持町人が主な被支配身分であった。


23. 近世の村や都市社会の周縁部分には、修験者や役者など、小さな身分集団が多様に存在した。また、賤視の対象とされた、えた・非人などもいた。


24. 武士などの家では家長の権限が強く、家督や財産などは長子をとおして子孫に相続された。


25. 百姓の経営を安定させるために田畑永代売買禁止令をだし、分割相続による田畑の細分化を防ぐために、分地制限令を出した。


26. 町は町人の代表である名主などを中心に、町法に基づいて運営された。町人は年貢負担は免れたが、町人足役とった夫役をつとめた。


27. 一組の夫婦を中心とする小規模な家族が、狭い耕地に労働を集中的に投下する小経営を行った。


28. 漁法の改良と沿岸部の漁場の開発が進んで、都市の資金で流通が拡大した。


29. 近世初期には豪商が活躍し、その後国内の陸上・海上交通が整備されていくと、全国の商品流通は問屋が支配するようになった。

 

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大学受験 日本史 国公立2次向け 理解度チェックリスト(近世2)

以下の問に答えられますか

答えは次の記事で

1. 徳川家康が将軍宣下を受けて江戸幕府を開いてから、大坂の役で豊臣方を攻め滅ぼして全国支配を実現した過程を説明できる。
2. 武家諸法度寛永令にいたるまでの、大名統制策を説明できる。
3. 家光が軍事指揮権を示した方法を説明できる。
4. 幕藩体制とは何かを説明できる。
5. 幕府の経済的基盤を説明できる。
6. 幕府の職制の特徴を説明できる。
7. 幕府による朝廷の統制を説明できる。
8. 和子入内以降の、朝廷統制の強化を説明できる。
9. 紫衣事件とその意義を説明できる。
10. はじめはキリスト教を黙認していた幕府が、禁教へと転換していった理由を説明できる。
11. 島原の乱の歴史的意義を説明できる。
12. イギリス・オランダとの通交の開始を説明できる。
13. スペインとの通商交渉について説明できる。
14. ポルトガルの利益独占への対抗手段を説明できる。
15. 日本人の海外進出を説明できる。
16. 海外渡航と貿易の統制に進んでいった理由を説明できる。
17. 鎖国の意義と影響について説明できる。
18. オランダと中国との通交関係を説明できる。
19. 朝鮮および蝦夷地との関係を説明できる。
20. 琉球王国との関係を説明できる。
21. 江戸時代の支配身分について説明できる。
22. 江戸時代の被支配身分について説明できる。
23. 周縁部分に生きる人々について説明できる。
24. 諸階層の家における、戸主の権限を説明できる。
25. 本百姓体制を維持するための政策を説明できる。
26. 町の組織や町人の負担を説明できる。
27. 近世の農業の基本的な特色を説明できる。
28. 漁獲物の流通が拡大した理由を説明できる。
29. 近世初期から17世紀後半までの商業の概略を説明できる。

 

前回(中世6・近世1)の解答

 

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1. 応仁の乱によって伝統的権威が失墜し、下剋上の風潮が拡大した。将軍や守護大名は力を失い、独自に領国を支配する戦国大名が各地に割拠した。


2. 国人や地侍を家臣化して軍事力を増強した戦国大名は、家臣の収入額を銭に換算する貫高制で、家臣の収入を保障するとともに軍役を課した。家臣団に組み入れた地侍は、有力武将に預ける寄親寄子制によって編成され、集団戦に活用された。


3. 中世法の集大成としての分国法では、家臣間の私闘を禁止する喧嘩両成敗法や有力家臣の城下町強制集住や私婚禁止が定められた。そこには、戦国大名の新しい権力としての性格が現れている。


4. 指出検地によって、農民に対する直接支配が強化された。有力な商工業者を取り立てて、領国内の商工業者を統制させて商工業者の力を結集した。商業取引を円滑化して、領国の政治・経済・文化の中止として城下町を形成し、領国を城下町を中心とした一つの経済圏とした。


5. 寺社の門前に人が集まって、町並みを形成した。


6. 浄土真宗の寺院・道場を中心に門徒の町が形成され、商工業者が集住して楽市で自由な取引を行った。


7. 貿易や遠隔地商業の発展にともなって港町などが形成され、日明貿易の拠点であった堺や博多などは、裕福な商工業者たちの合議で運営される自治都市となった。


8. 応仁の乱によって荒廃した京都は、町衆によって復興されて自治都市となり、祇園祭も再興された。


9. 倭寇船に乗り込んだポルトガル人が種子島に鉄砲を持ち込み、以後九州の諸港に来航した。四十年の後、スペイン人が肥前の平戸に来航して貿易を開始した。


10. 中国産の生糸や、ヨーロッパの鉄砲が輸入され、日本からは銀が輸出された。鉄砲は戦術の変化をもたらした。


11. イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に到着して、大内義隆や大友義鎮らの保護を得て布教を開始した。南蛮寺・コレジオ・セミナリオが建設され、一部の大名は洗礼を受けてキリシタン大名となった。ヴァリニャーニの勧めによって、天正遣欧使節が派遣された。


12. 家臣団の城下町集住を徹底させ、伝統的な政治や宗教の権威を克服しようとした。指出検地や関所の廃止、堺の直轄化を断行して、楽市令で自由な営業活動を認めた。


13. 秀吉は天皇の権威を利用しながら新しい統一国家をつくり上げた。経済的基盤は莫大な蔵入地にあり、その他主要鉱山や京都・大坂・堺・伏見・長崎などを直轄化した。


14. 腹心の家臣を五奉行として政務を分掌させ、有力大名を五大老として重要政務を合議させた。


15. 太閤検地によって石高制や一地一作人制が確立し、大名は石高に応じて軍役を負担することとなった。刀狩によって農民から武器が没収され、農民の身分が明確化された。人掃令によって諸身分が確定され、兵農分離が完成した。


16. 長崎がイエズス会に寄付されたことや、日本人が奴隷としてキリスト教徒によって連れ出されていたこと、およびキリスト教徒が神社仏閣を破壊していたことに危機感をつのらせた秀吉は、バテレン追放令を出して宣教師の国外追放を命じた。しかし、人々の信仰は否定せず、貿易も奨励していたため、禁教は不徹底であった。スペイン船の乗組員の証言をきっかけに、26聖人殉教事件が起きた。


17. 朝鮮出兵は朝鮮の人々や国土に多くの損害を与え、膨大な戦費と兵力の消耗は秀吉政権の衰退をもたらした。


18. 新興の大名や豪商の気質と経済力が反映した、新鮮味あふれる豪華で壮大な文化であった。仏教色が薄れて、現世的で力感あふれる文化となり、南蛮文化の影響もみられた。

 

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大学受験 日本史 国公立2次向け 理解度チェックリスト(中世6・近世1)

以下の問に答えられますか

答えは次の記事で

1. 戦国大名が登場した背景を説明できる。
2. 戦国大名の家臣団統制のあり方を説明できる。
3. 分国法から戦国大名の家臣・領国支配の理念や形態を説明できる。
4. 戦国大名の経済政策を説明できる。
5. 門前町の成立背景を説明できる。
6. 寺内町の成立背景と特徴を説明できる。
7. 港町と宿場町の成立背景と特徴を説明できる。
8. 京都の復興を説明できる。
9. 南蛮貿易開始のきっかけを説明できる。
10. 南蛮貿易の特徴を説明できる。
11. 初期のキリスト教受容の様相を説明できる。
12. 信長政権の政策の特徴を説明できる。
13. 豊臣政権の政治的特色や経済的基盤を説明できる。
14. 豊臣政権晩年における、五奉行五大老の制度を説明できる。
15. 秀吉の諸政策によって、石高を基準とする知行・軍役体制が整えられ、兵農分離が完成したことを説明できる。
16. 秀吉のキリスト教取締り政策を説明できる。
17. 秀吉の朝鮮侵略が朝鮮に与えた影響と、秀吉政権に与えた影響を説明できる。
18. 桃山文化の特色を説明できる。

 

前回(中世5)の解答

 

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1. 畿内とその周辺は、農業経営の集約化と多角化を背景に農業生産が発展した地域であった。それゆえ、名主層に加えて新しく成長してきた小農民らによって、自然発生的に自治的で自立的な惣村が、畿内周辺で特に発達した。


2. おとな・沙汰人などの指導者を中心とした寄合が運営して、惣掟を定めた。


3. 足利義持の時代は、将軍と有力守護の勢力が均衡して安定していた。関東では上杉禅秀の乱が起こった。足利義教は将軍権力強化をねらった専制政治を行った。関東では永享の乱結城合戦が起こった。義教は嘉吉の変で播磨国守護赤松満祐に謀殺された。


4. 中世には、支配者の交代によって、所有関係や貸借関係など、社会の様々な関係が改められるという社会観念が存在した。義量没後の将軍空位期に正長の徳政一揆が起こり、徳政を求めたが、幕府はこれを許さなかった。一揆勢は私徳政を行った。この一揆の影響を受けて、翌年には守護赤松満祐の家臣の国外追放を要求する播磨の土一揆が起こった。義教が嘉吉の変で忙殺されると、嘉吉の徳政一揆が代始めの徳政を要求して京都を占拠した。これに対して幕府は徳政令を発布した。


5. 将軍家の家督争いに、幕府の実権を握ろうとしていた細川勝元山名持豊が介入して、応仁・文明の乱が始まった。守護大名はそれぞれ細川方(東軍)と山名方(西軍)の両軍に分かれて戦い、主戦場となった京都は荒廃した。


6. 応仁の乱によって幕府の権威と支配力は地に落ちた。また、有力守護が在京して幕政に参加する体制は崩壊し、荘園制の解体も進んだ。


7. 応仁の乱終結したあとも、山城国南部では畠山義就と政長の戦闘が継続していた。山城国南部の国人と土民は一揆を結んで両畠山勢の退去を要求して、8年間にわたる自治的支配を実現した。蓮如の布教により一向宗は北陸に勢力を拡大していた。加賀国一向宗門徒は守護富樫政親を倒して、100年にもわたる自治的支配を行った。


8. 集約化と多角化によって、生産性が向上した。


9. 農業生産の拡大は農民を豊かにし、物資の受容を高め、農村にも商品経済が浸透していった。商品作物の栽培は、手工業の発達と遠隔地取引の活発化につながった。


10. 手工業や遠隔地取引の発達は、定期市や都市の常設店舗の発展につながり、行商人・座の増加や花柄の流通をうながした。


11. 土倉・酒屋は高利貸しを営み、幕府は営業税を徴収したが、しばしば土一揆の襲撃対象となった。また、割符も利用された。撰銭も行われた。


12. 幕府が京都に所在していたため、武家文化と公家文化が融合し、東アジアとの交流は大陸文化と従来の文化を融合させた。応仁の乱は中央文化と地方文化を融合させ、今日「日本の伝統文化」といわれている日本固有の文化が確立された。
南北朝文化は政治的転換期の文化で、高まった緊張感を背景に新興武士たちの間で伝統文化を否定する動きと、正統性を求める動きが生まれた。


13. 伝統文化の否定は「バサラ」の気質を生み、連歌能楽・茶寄合・闘茶が盛んになった。正統性を求める動きにより、歴史書や軍記物語が記された。


14. 伝統文化に禅宗文化が取り入れられた。


15. 五山・十刹の制で統制された。五山僧は禅の精神を具体化した水墨画を描き、五山版とよばれる禅の経典や漢詩文集を出版して中国文化の普及に役割を果たした。


16. 北山文化の芸術性が生活文化に取り込まれた。また、禅の精神にもとづく簡素さと、伝統文化の幽玄・侘を精神的な貴重としていた。


17. 都市や農村で庶民が台頭し、素朴で娯楽性の強い、民衆が楽しむ文化も生まれた。民衆芸能には、多くの人々が共同でおこない、ともに楽しむことが一つの特徴であった。


18. 都の戦乱によって文化人が流出して、守護や地方武士の成長によって地方で中央文化を受容する条件が整った。


19. 天台宗真言宗などの旧仏教と、臨済宗五山派は、荘園の崩壊や朝廷・幕府といった庇護者の没落にともなって衰退していった。


20. 禅宗では、自由な活動を求めて地方布教を行った林下が地方武士や農民の支持を得た。日蓮宗は、日親が戦闘的な布教を行い、義教の迫害を受けながらも、京都の商工業者を中心に勢力を拡大した。浄土真宗では、蓮如が御文や講組織で布教して、北陸・東海・近畿地方に勢力を拡大させた。

 

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以下の問に答えられますか

答えは次の記事で

1. 惣村が特に畿内で発展した理由を説明できる。
2. 惣村がもつ自治機関としての組織・構成員・規約を説明できる。
3. 4代将軍義持と6代将軍義教の施政方針と、反乱・変事を説明できる。
4. 室町幕府政治と土一揆の関連を、土一揆発生の背景・蜂起時期・要求などから説明できる。
5. 応仁の乱の背景と経過に留意しつつ、支配層の分裂や弱体化が京都の荒廃をまねいたことを説明できる。
6. 応仁の乱の歴史的意義を説明できる。
7. 山城の国一揆・加賀の一向一揆の背景と結果を説明できる。
8. 農業生産拡大の背景を説明できる。
9. 農業生産拡大・商品作物の栽培品種拡大・商品作物の栽培量の拡大が及ぼした影響を説明できる。
10. 手工業・遠隔地取引の発達の影響を説明できる。
11. 流通や貨幣経済の進展にともなう、金融関係業者の様相を説明できる。
12. 南北朝文化の背景を説明できる。
13. 南北朝文化の特徴を、伝統文化の否定と、正統性をもとめる動きから説明できる。
14. 北山文化の特徴を説明できる。
15. 禅宗が幕府の保護と統制を受けるなかで、文化におよぼした影響を説明できる。
16. 東山文化の特徴を説明できる。
17. 庶民文化の興隆を説明できる。
18. 地方都市に都の文化が広まった理由を、都からの文化人の流出という面と、地方における文化人の受容という両面から説明できる。
19. 宗教界の再編成を、上層階級の没落の影響から説明できる。
宗教界の再編成を、曹洞宗日蓮宗浄土真宗の発展から説明できる。

 

前回(中世4)の解答

 

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1. 権力の天皇集中を理想とした後醍醐天皇は、武士にとって最も重要な土地所有権の確認には綸旨を必要とするという方針を打ち出したため、所領裁判が滞った。ちまたでは偽綸旨が横行し、武士社会の慣習が無視された綸旨が出された。


2. 建武政権が行った、武士社会の慣習を無視した裁判や不公平な恩賞は、武士の不満をまねき、即席の政治機構と人間対立は、政務の停滞や社会の混乱をまねいた。こうして、建武政権は急速に人びとの信頼を失っていった。こうした状況のなか、足利尊氏中先代の乱を契機に反旗を翻したため、建武政権は瓦解していった。


3. 足利尊氏持明院統光明天皇を擁立して、建武式目を発表した。大覚寺統後醍醐天皇は京都から吉野に逃れて、自身が正統であることを主張した。


4. 優勢であった北朝が内部分裂して観応の擾乱がおこり、北朝の尊氏派と北朝の直義派、および南朝方の三者が、10年余りも離合集散を繰り返したため。また、武士社会では惣領制が解体しており、単独相続が一般的になっていた。そのため、各地の武士団は分裂して対立し、一方が北朝につけば反対派は南朝について動乱を拡大させた。


5. 南北朝の動乱のなか、幕府は地方武士を動員するために守護の権限を拡大した。鎌倉時代後期に刈田狼藉の検断権を得ていた守護は、使節遵行権を与えられ、さらに半済令によって一国内の荘園や公領の年貢の半分を挑発する権限を認められた。守護は侵略した荘園公領を武士に分け与えて武士を被官化し、守護請も行われた。守護は国衙の機能も吸収して一国全体におよぶ地域的支配権を確立して任国を世襲するようになり、守護大名となった。


6. 地頭など、在地の領主は国人とよばれるようになった。国人は自立の気質が強く、自主的に相互間の紛争を解決したり、農民を支配したり、守護に対抗するために国人一揆を形成した。


7. 南北朝の合体を達成した足利義満は、朝廷に対しては京都の施政権や段銭賦課権を吸収して花の御所を造営し、武士に対しては土岐康行の乱・明徳の乱応永の乱と、有力守護大名の勢力を次々に削減していった。義満は武士の頂点たる征夷大将軍を辞任した後、朝廷も武士も含む頂点である太政大臣に就任した。義満は出家した後も、幕府や朝廷に対して実権をふるい続けた。


8. 管領は将軍を補佐する職で、細川・斯波・畠山の三管領から交代で任命された。侍所は京都内外の警備や刑事裁判を司り、赤松・一色・山名・京極の四職から任命された。これらの有力守護は在京して幕政の運営にあたったが、一般の守護も両国は守護代に統治させて、自身は在京して幕府に出仕した。
財政面では、土倉役・酒屋役・関銭・津料・日明貿易抽分銭など、経済・金融活動からの収入も大きかった。国家的行事の際には、守護を通して全国的に段銭や棟別銭を徴収した。


9. 元とは国交を結んでおらず、民間船の往来があった。元を北方に追い戻して建国された明は、朝貢国以外とは通行しないという海禁政策をとったため、足利義満朝貢形式で貿易を行った。朝貢貿易では、明での滞在費や運送費はすべて明側が負担したため、日本側の利益は大きかった。


10. 鎌倉末から南北朝期における日本の混乱が前期倭寇を出現させ、前期倭寇は明や朝鮮が建国されて南北朝内乱が集結すると、沈静化していった。東アジアで交易の需要が拡大してくると、勘合貿易などではその需要をまかないきれなくなり、中国南部の商人による密貿易が盛んになった。こうした武装した中国人密貿易者も倭寇(=後期倭寇)とよばれた。


11. 中国皇帝へ貢物を奉って朝貢して臣下の礼をとる周辺諸国の君長に対し、皇帝は国王に封じて返礼として回賜品を下賜するという、中国を中心とする国際秩序を冊封体制という。明は冊封体制の復活をめざして、周辺諸国に対して通交を求めた。


12. 日本・明・東南アジアの中間にある琉球王国は、明の海禁政策のもとで、中継貿易で繁栄した。


13. 蝦夷ヶ島南部に進出した和人が、道南十二館を拠点としてアイヌと交易した。

 

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1. 武士の立場からみた後醍醐天皇の綸旨絶対主義の問題点を説明できる。
2. 建武政権が短期間で崩壊した過程を説明できる。
3. 建武政権が崩壊した後、尊氏が持明院統を擁して京都に、大覚寺統が吉野に拠った経過を説明できる。
4. 南北朝の動乱が長期化した背景と経緯を説明できる。
5. 守護大名の権限が強化された背景と経緯を説明できる。
6. 国人一揆が形成される背景を説明できる。
7. 足利義満南北朝合体や有力守護大名の粛清を通して、強大な権力を形成し、公武両権力の頂点として安定した支配体制を築いたことを説明できる。
8. 室町幕府の職制と財政基盤を説明できる。
9. 14世紀の東アジアにみられる政治的変動に着目しつつ、交易形態の変化を説明できる。
10. 政権の安定性と倭寇出現の関係性を説明できる。
11. 冊封体制朝貢貿易の構図を説明できる。
12. 琉球の地理的条件に留意しつつ、琉球王国の成り立ちを説明できる。
13. 蝦夷ヶ島におけるアイヌと和人の関係性を説明できる。

 

前回(中世3)の解答

 

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1. 私的貿易が盛んで商人が往来するなど、日本は宋との経済的交流を長い間続けてきており、宋を中心とする東アジア通商圏の中に組み入れられていた。また、僧侶も日宋を往来し、執権の北条時頼時宗親子が南宋僧の蘭渓道隆・無学祖元に帰依するなど、文化的交流も盛んであった。こうした宋との密接な関係性が、宋を侵略する元への回答に影響を与えたと考えられる。


2. 文永の役において、元・高麗軍は対馬壱岐を陥落させて、博多湾に上陸した。ドラを合図に集団で行動する元軍に対して、伝統の一騎打ちを挑んだ武士は討死をかさねて、大宰府付近まで撤退した。ところが、夜襲を恐れた元軍は船に戻り、翌朝になると姿を消していた。
文永の役の後、日本は異国警固番役を強化して、石築地を博多湾沿いに構築した。元は南宋を滅ぼして、再び日本征服を目指した。
弘安の役において、元は14万の大軍を率いて九州北部に到達したが、博多湾沿岸への上陸をはばまれているあいだに暴風雨がおこって大損害を受け、撤退した。


3. 高麗の軍事組織である三別抄は国王が元に降伏したあとも、朝鮮南部で抵抗を続けていた。三別抄は鎌倉幕府に援助を求めるが、幕府がこれを拒否したため、1273年に敗北した。そして、三別抄の乱を元が鎮定した翌年に文永の役がおこり、南宋を滅亡させた(1276年)のちに、弘安の役がおこった。二度にわたる元の襲来の失敗は、元に征服された高麗や南宋の人々の抵抗によるところもあった。


4. 異国警固番役に引き続き九州御家人を動員した幕府は、非御家人の武士を動員する権利を朝廷から獲得して、西国一帯に幕府勢力を強めていった。


5. 蒙古襲来を機に、北条一門は九州を統括し、多くの国の守護に任じられた。北条氏の権力は拡大され、なかでも家督をつぐ得宗の勢力が強大になった。それにともなって、得宗の家臣である御内人御家人の対立が激しくなった。
北条貞時の時代に、内管領平頼綱が有力御家人安達泰盛を滅ぼすと、貞時はその頼綱を滅ぼして幕府の全権を握った。
こうして、得宗の勢威のもとで御内人や北条氏一門が幕政を主導する、得宗専制政治が始まった。


6. 農耕生活が始まると集落や聖地からなるグスクが形成され、土地・水などをめぐる争いが起き、その指導者である按司が成長した。争いがすすむに従い、石垣による城が作られるようになった。交易が始まると良港をもつ按司が勢力を拡大し、三山に統合されていった。


7. 古代の続縄文文化から、擦文文化・オホーツク文化を経て、13世紀にはアイヌの文化が生まれた。アイヌ津軽の十三湊を拠点とする安藤氏と交易を行った。


8. 御家人は分割相続によって所領が細分化していくなか、貨幣経済の発展に巻き込まれた。また、蒙古襲来の恩賞が不十分であったため、窮乏していった。この動きにともなって、女性の地位も低下の傾向をみせ始めた。女性に与えられる財産が少なくなり、本人一代限りでその死後は財産を惣領に返す約束付きの相続(一期分)が多くなった。


9. 幕府は永仁の徳政令を出して、御家人の所領の質入れや売買を禁止して、それまでに質入れ、売却した御家人領を無償で取り戻させて、御家人が関係する金銭の訴訟を受けつけなくした。しかし、債権を否定された非御家人や借上は損害を被り、御家人への融資を渋ることになった。その結果、困窮御家人はかえって苦境に立つこととなり、状況を察した幕府は、翌年に徳政令を撤回した。


10. 広い階層を対象とする新しい仏教の必要性に応じて、仏教者が庶民でも実行できる、易行・選択・専修を説いたため。


11. それまで祈禱や学問中心だった旧仏教側も、新仏教の広まりをみて庶民との関わりや、元来の戒律の遵守が重要だと考えたから。


12. 時代の変動を目の当たりにした人々の間に無常観が広がり、観念的な美を追求するものも現れた。また、武士の活躍を描いたものは、字を読めない人びとにも親しまれた。


13. 没落する公家のあいだで、過ぎ去った良き時代への懐古と尊重の気風が高まったから。


14. 民衆に教えを広めるために制作された。


15. 後嵯峨法皇が亡くなったあと、天皇家持明院統大覚寺統に分かれて争った。幕府はその争いの調停を行い、その結果、両統が交代で皇位につく両統迭立がとられるようになった。両統迭立にしたがって即位した後醍醐天皇はこの状況をきらって親政を開始して、皇位の安定をはかるために、積極的に天皇の権限強化を推し進めた。


16. 後醍醐天皇の皇子の護良親王楠木正成らは、悪党などの勢力を結集して蜂起し、幕府軍の指揮官として機内に派遣された有力御家人足利尊氏も幕府に反旗を翻した。

 

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1. 南宋と日本の経済的・文化的交流と、モンゴルの要求に対する日本の対応の関係を説明できる。
2. モンゴルと日本の戦術の相違に触れつつ、蒙古襲来の経過を説明できる。
3. 中国・朝鮮の民族的抵抗と蒙古襲来との関連性を説明できる。
4. 蒙古襲来をきっかけに幕府勢力が西国に浸透したことの影響を、非御家人に対する権限拡大の面から説明できる。
5. 御家人御内人の対立の背景、経過、結果を説明できる。
6. 琉球における貝塚時代からグスク時代への変遷を説明できる。
7. 蝦夷ヶ島における文化の変遷と、十三湊との関連性を説明できる。
8. 蒙古襲来後に御家人が疲弊した背景を説明し、女性の財産権や地位が低下していく過程を説明できる。
9. 御家人の疲弊に対する幕府の対応と、その効果と影響を説明できる。
10. 鎌倉仏教の成立の背景と、武士や庶民に普及した理由を説明できる。
11. 鎌倉仏教の出現に対する旧仏教の改革が、戒律厳守や社会事業に向かった理由を説明できる。
12. 中世文学の背景を、公家社会の没落と武家社会の勃興という観点から説明できる。
13. 有職故実宋学がさかんになった背景を説明できる。
14. 寺社の縁起や高僧の伝記が製作された理由を説明できる。
15. 後醍醐天皇の方針とその背景を説明できる。
16. 幕府を滅亡に導いた勢力について説明できる。

 

前回(中世2)の解答

 

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1. 背景:平清盛後白河法皇を幽閉して、孫の安徳天皇を即位させると、平氏専制に対する不満が高まった。そうした情勢のなか、皇位継承どころか親王にすらなれなかった以仁王平氏打倒をはかって令旨を発布した。
意義:園城寺興福寺などの僧兵をはじめ、源頼朝など各地の武士団が挙兵して、内乱が全国に広がっていった。


2. 地方の武士は、国司荘園領主に対する所領支配権の強化と拡大を求めていた。それゆえ、貴族的側面を色濃く残す平氏や、朝廷との交渉力に欠ける源義仲は武士の支持を得られなかった。一方、後白河法皇の求めに反して鎌倉にとどまった源頼朝は、東国武士の所領支配を保障して、広く主従関係を確立していった。また、頼朝は朝廷と交渉して、寿永二年十月宣旨で東国支配権を承認させて、武士の要求に答えた。


3. 武士の所領の支配権を強化できることと、それを朝廷に認めさせることができること、および所領訴訟にあたって公平な裁定をくだす調停力。


4. ①1180年:頼朝が侍所を設置。関東南部の実質的支配を始める
  ←鎌倉幕府が鎌倉に拠点を置く(私的な)地方政権であることを重視するから
②1183年:頼朝の東国支配権を朝廷が承認
  ←地方政権(地方支配)が公的なものとなったことを重視するから
③1184年:頼朝が公文所問注所を設置
  ←鎌倉幕府の内部機構が整備されたことを重視するから
④1185年:頼朝が守護・地頭の設置権を獲得
  ←支配権が(一応)全国におよんだことを重視するから
⑤1190年:頼朝が右近衛大将に任命
  ←右近衛大将という名目的地位を重視するから
⑥1192年:頼朝が征夷大将軍に任命
  ←征夷大将軍という名目的地位を重視し、室町幕府江戸幕府と比較的にみるから


5. 簡素で実用的な機構。


6. 主人としての頼朝は、御家人に御恩(本領安堵新恩給与)を与え、これに対して御家人は、従者としての奉公(戦時の軍役・京都大番役・鎌倉番役)をつとめた。


7. 公武二元支配:国(公領)は、朝廷から派遣された行政官である国司と、幕府から派遣された軍事統率者である守護の両者から支配された。荘園は、荘園領主に仕える荘官と幕府に任命された地頭の両者から支配された。
幕府の二面性:武家性と貴族性。武家性としては、地方武士を組織化して、その現地支配力を強固にした。一方、貴族性としては、幕府の経済基盤は関東知行国関東御領(荘園)であり、朝幕関係は朝廷の新制で定められ、朝廷の荘園公領支配を助けることもあったように、公家政権と武家政権は補完関係にあった。


8. 源頼家は武士が命をかけて守ろうとする土地の裁定を不公平に行ったため、将軍の独裁が否定されて有力御家人の合議制となった。


9. 北条時政は頼家の後見の比企能員を滅ぼし、頼家を伊豆修禅寺に幽閉して、実朝を三代将軍とした。こうして幕府の実権を握った時政の地位は執権とよばれて、子の義時に継承された。義時は侍所別当和田義盛を滅ぼして、政所と侍所の別当を兼ね、執権の地位を固めた。


10. 院政を強化して朝廷の勢力を挽回しようとした後鳥羽上皇は、幕府との対立姿勢をもみせていた。実朝暗殺をきっかけに朝幕関係は不安定となり、上皇は皇族将軍の下向を拒否した。そして、上皇畿内・西国の武士や僧兵、北条氏に反発する一部の東国武士を味方に引き入れて、北条義時追討の兵をあげた。


11. 当初、上皇の宣旨により「朝敵」となることに東国御家人は動揺した。しかし、御家人北条政子の呼びかけに応じて結集し、幕府は泰時・時房の率いる軍で京都を攻め、圧倒的な勝利をおさめた。


12. 幕府は後鳥羽・順徳・土御門の3上皇を配流として、仲恭天皇を廃位とした。また、朝廷を監視・警護して西国を統轄するために六波羅探題を設置して、上皇方の所領3000余箇所を没収して新補地頭を任命した。


13. 畿内・西国の荘園・公領にも幕府の力が及び、朝廷と幕府の二元支配は幕府優位に傾き、幕府は皇位継承や朝廷政治にも干渉するようになった。地方では、新補地頭などによる荘園侵略が進んでいった。


14. 泰時は執権を補佐する連署をおいて、北条氏一族を当てた。次に、執権・連署とともに幕府の政務や裁判を処理する評定衆を設置して、合議制にもとづく政治体制を整えた。


15. 御家人同士や御家人荘園領主との紛争を公平に裁くため、頼朝以来の先例や道理とよばれた武士社会の慣習・道徳にもとづいて、裁判の基準を定めた。これは、幕府の勢力範囲を対象とするものであり、朝廷の支配下では律令の系統を引く公家法が、荘園領主のもとでは本所法が効力をもち続けた。


16. 武家の最初の整った法典という意義をもった御成敗式目の影響範囲は、幕府勢力の発展につれて公家法や本所法のおよぶ土地にも拡大していった。また、室町幕府の法令にも武家基本法典として影響をあたえた。


17. 鎌倉時代の武士は、地頭など荘園や公領の管理者として、農民から年貢を徴収して荘園領主国衙におさめ、加徴米などを定められた収入として得ていた。その他、館の周辺部に年貢や公事のかからない佃などとよばれた直営地を設けて、下人や所領内の農民に耕作させた。


18. 惣領制は分割相続で分立した一族の構成員である庶子が、一族の長である宗家の惣領の統制のもとに結集する血縁的結合形態である。この一門は惣領の指揮のもとで団結して戦った。幕府への軍役や年貢・公事の納入は、惣領が責任者となって庶子に割り当てた。


19. 武勇を重んじる武士は、流鏑馬・笠懸・犬追物などで常に訓練された。また、主人に対する献身や、一問の誉を尊ぶ精神、そして恥を知る態度を特徴とする「武家のならい」とよばれた道徳を重んじた。


20. 承久の乱後の幕府の勢力拡大に応じて、地頭の支配権拡大の動きも活発になった。地頭の侵略に直面した荘園領主などは幕府に訴えて地頭の年貢未納などの動きをおさえようとした。しかし、紛争解決のために領主たちは、やむをえず地頭請所の契約を結んだり、下地中分に応じたりした。


21. 畿内や西日本では、麦を裏作とする二毛作が普及していった。大唐米が輸入され、牛馬耕も広まった。刈敷や草木灰といった肥料も利用された。


22. 定期市が開かれて、行商人も現れた。同業者の団体である座が結成され、商品の中継と運送、委託販売を行う問が発達した。また、年貢の銭納もおこり、遠隔地取引には為替も使用された。また、高利貸業者の貸上も登場した。


23. (追加)執権政治から得宗専制政治への変化の歴史的前提を説明できる。
その地位を不動のものとした北条氏は、朝廷内部にも影響力をもつようになった。幕府は皇族将軍という名目だけの将軍を迎えた。こうして執権政治は時頼のもとでさらに強化され、北条氏独裁の性格を強めていった。(合議制→独裁へ)

 

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