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大学受験 日本史 国公立2次向け 理解度チェックリスト(中世2)

以下の問に答えられますか

答えは次の記事で

 

1. 以仁王令旨の背景と意義を説明できる。
2. 治承・寿永の内乱の経過に着目して、地方武士の活動と要求について説明できる。
3. 東国武士団が源頼朝に求めた資質を、三つあげることができる。
4. 鎌倉幕府成立事紀についての諸説をあげ、それぞれの理由を説明できる。
5. 鎌倉幕府の組織の特徴を説明できる。
6. 軍事政権である鎌倉幕府を支えている、封建的主従関係を説明できる。
7. 公武二元体制と幕府の二面性を述べたうえで、鎌倉時代初期の幕府の支配のあり方を説明できる。
8. 将軍独裁体制から御家人合議制へと転換した原因を、源頼家御家人に反発されたことに着目して説明できる。
9. 北条時政と義時が執権政治を確立させて、権力をつかんでいく過程を説明できる。
10. 承久の乱の背景としての、源家将軍断絶に対する上皇の対応を説明できる。
11. 承久の乱の経過における、東西の武士団の動向を説明できる。
12. 承久の乱の結果である、上皇方への処分とその影響を説明できる。
13. 承久の乱の意義である、朝幕関係と地方支配の変化を説明できる。
14. 北条泰時による執権政治の整備を説明できる。
15. 御成敗式目の目的と基準と適用範囲を説明できる。
16. 御成敗式目の歴史的意義と、その後の発展について説明できる。
17. 鎌倉時代の武士の在地経営を説明できる。
18. 惣領制を説明できる。
19. 武士の武芸鍛錬と道徳観を説明できる。
20. 地頭による荘園侵略の過程を、幕府・荘園領主・地頭の関係の変化から説明できる。
21. 鎌倉時代の農業の発展について説明できる。
22. 鎌倉時代の商工業の発展について説明できる。

 

前回(古代5・中世1〉の解答

 

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1. 有力農民も貧窮農民も浮浪・逃亡などさまざまな方法で負担を逃れようとし、偽籍が横行することによって、籍帳による支配が困難になった。9世紀には班田のサイクルの延長や直営田の経営など、律令支配の再建築がはかられるが、国家財政の維持は困難になっていった。


2. 徴税対象を人から土地に変え、国司最上位者に一定額の納税を請け負わせる(←義務)かわりに、一国の統治を委任(←利権)する体制ができあがった。


3. 成功・重任といった売位売官と遙任。


4. 国司の徴税攻勢から逃れようとした開発領主が、荘園を中央の貴族に寄進して、権力者を領主としてあおいだ。


5. 国司は開発領主の土地を郡・郷・保に再編成して、開発領主を郡司・郷司・保司に任命して徴税を請け負わせた。こうして成立した公領は、目代や在庁官人に管理された。


6. 不輸は免税特権で、太政官民部省に認められた官省符荘と、国司に認められた国免荘があった。不入は検田使の立ち入りを拒否できるもので、田地の把握を困難にさせた。


7. 開発領主などの地方豪族や、土着した国司の子孫が勢力拡大のために武装して紛争が頻発した。その鎮圧のために中央の下級貴族が押領使・追捕使として派遣されたが、こうした貴族も在庁官人などとして土着して武士となり、地方の武装集団(紛争してた人)を取り込んで武士団を形成していった。


8. 武士の家の中核は、主人とその血縁である家子であり、彼らは在地の小領主である郎党(・郎従・家人)や、さらに下級の下人・所従を従えていた。


9. 桓武天皇の子孫である桓武平氏は、坂東諸国に土着して在庁官人となって、在地領主として勢力をのばし、その貴種性や勢力基盤が平将門に受け継がれた。伊予掾となった藤原純友は任期が終わっても帰京せずに土着し、瀬戸内海の海賊の棟梁となった。


10. 中央では滝口の武者や貴族の身辺警護(侍)として奉仕した見返りとして保護を受け、勢威を強めた。地方では、朝廷が地方の治安維持を武士に委ねたため、武士は国衙の軍事力ないしは追捕使や押領使として地方の武装集団を取り込んでいった。


11. 摂関家と結びついて勢力を拡大した源頼信が、平忠常の乱を鎮圧して源氏の東国進出の契機をつくり、その子の頼義は陸奥守・鎮守府将軍として東国の武士を率いて、前九年合戦で安倍氏を滅ぼした。その子の義家は、後三年合戦を平定したのちに私財をもって武士に褒賞をあたえて、関東武士の信望を高めた。こうして源氏は東国武士団との主従関係を強化して、武士の棟梁としての地位を確立した。なお義家は、のちに院の昇殿を許された。


12. 摂関家との外戚関係をもたない後三条天皇は、反摂関家の受領層や、大江匡房などの学識に優れた人材を登用して、摂関家をも対象とする荘園整理を実施した。


13. 延久の荘園整理令によって荘園と公領の区別が明確になったものの、公領を管理する在庁官人や郡司らは公領を自らの領地のように管理した。また、在庁官人などは世襲化して、公領はあたかも国衙の私領のようになった。


14. 摂関家の影響から距離をおいた天皇は、自分の子孫に皇位を継承させようと考えて、院政を初めた。やがて、院は法や慣例にとらわれずに、天皇を後見する立場で政治の実権を掌握した。


15. 摂関家の経済基盤が官人としての給与と荘園にあったのに対し、院の経済基盤は荘園と知行国にあった。両者ともに、成功による収入もあった。


16. 六勝寺などの造営費用を調達するために成功を用いたため、売位売官の風潮がさかんになった。


17. 有名無実化した俸給にかわり、一国の支配権を上級貴族に与えて知行国主とし、その国からの収益を取得させる制度。


18. 朝廷は強訴に抗することができず、武士を用いて鎮圧や警護にあたらせたため、武士の中央政界への進出をまねいた。


19. 藤原清衡は、北方で産出する金や馬などの産物をもって京都の摂関家と結んで、阿弥陀堂など京都文化の移入につとめた。


20. 鳥羽法皇の死後に皇室内の対立と摂関家内の対立が表面化した。武士を集めた崇徳上皇に対して、後白河天皇平清盛源義朝らの武士を動員して、崇徳上皇を破った。これにより、貴族社会内部の争いも武士の実力で解決されることが明らかとなった。


21. 院政を始めた後白河上皇の近臣の間に対立が深まった。近臣の1人の藤原信頼源義朝と結んで近臣の藤原通憲を自決に追い込んだが、平清盛に滅ぼされた。これにより、武家の棟梁としての清盛の地位と権力が急速に高まった。


22. 貴族的性格としては、後白河法皇に奉仕をして高位高官を独占し、天皇家外戚関係も結んだ。武士的性格としては、西国武士団を組織化して、家人を荘園・公領の地頭に任命した。


23. 知行国と荘園と日宋貿易


24. 武士が新たに台頭してきたため、中央の貴族は地方の武士や庶民の姿に関心を示すようになった。そのため、この時代の文化は地方文化を取り入れた新鮮で豊かなものとなった。また、武士も文化の担い手となり始め、中央の文化が地方にも伝播した。

 

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大学受験 日本史 国公立2次向け 理解度チェックリスト(古代5・中世1)

以下の問に答えられますか

答えは次の記事で

 

1. 律令支配の基盤であった戸籍・計帳の制度が崩壊して行く過程を、崩壊の理由と再建策に触れながら説明できる。
2. 10世紀に構築された新たな地方支配体制を、国司の変容とその利権・責任という面から説明できる。
3. 受領の地位が利権化した結果として、国司層が行った行動を説明できる。
4. 寄進地系荘園の成立過程を説明できる。
5. 公領(国衙領)の成立過程を説明できる。
6. 不輸・不入の権の内容と効果を説明できる。
7. 武士の出現と武士団形成の経緯を説明できる。
8. 武士の家の構造を説明できる。
9. 平将門藤原純友の武力基盤を説明できる。
10. 武士が成長していった理由を、中央貴族の関係と地方における国衙との関係から説明できる。
11. 東国の三つの争乱を通じて源氏が武士の棟梁として成長していった過程を説明できる。
12. 後三条天皇摂関家にはばかることなく荘園整理を断行できた背景を、外戚関係や人材登用の面から説明できる。
13. 荘園と公領の同質化について説明できる。
14. 院政開始の背景やねらいについて説明できる。
15. 院政摂関政治の経済基盤の共通点と相違点を説明できる。
16. 院政期の造寺造仏と成功の関連性について説明できる。
17. 知行国制度について説明できる。
18. 強訴が武士の成長に果たした役割を説明できる。
19. 奥州藤原氏の経済と文化の独自性を説明できる。
20. 保元の乱の背景と経過に着目して、その歴史的意義を説明できる。
21. 平治の乱の背景と経過に着目して、その歴史的意義を説明できる。
22. 平氏政権の貴族的性格と武士的性格を説明できる。
23. 平氏政権の経済的基盤を説明できる。
24. 院政期の文化について、時代背景や担い手の変化に着目して説明できる。

 

前回(古代4)の解答

 

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1. 仏教政治の弊害を改めて、天皇権力を強化するため。


2. 七世紀後半、孝徳朝に渟足柵と磐舟柵を日本海側に設け、斉明朝に阿倍比羅夫を派遣した。八世紀の前半には出羽国を設置して、陸奥国多賀城を建造して、陸奥国府と鎮守府を置いた。九世紀には征夷大将軍坂上田村麻呂阿弖流為を帰順させ、胆沢城を築いて鎮守府をそこに移した。桓武朝の末期の徳政相論によって征夷と造都の停止が決定され、嵯峨朝の文屋綿麻呂の遠征を最後に大規模な征夷は行われなくなった。


3. 国家財政や民衆にとって、大きな負担となったから。


4. 国司交代の際の事務引継を監督する勘解由使を設けた。辺要を除いて軍団・兵士を廃止して、郡司の子弟からなる健児制を採用した。また、12年毎としつつも、班田の励行をはかった。


5. 天皇の命令を太政官に直接伝達するために蔵人頭を設置した。平安京内の警察を担当する検非違使をおいた。政治実務の便をはかって、弘仁格式を編纂した。財源を確保するために直営田を設けた。


6. 蔵人所が掌る宣旨はやがて詔書や勅書にかわる役割を果たすようになり、詔勅の伝宣を主務とする少納言局中務省が形骸化していった。検非違使はのちに裁判も行うようになり、弾正台や衛府の本来の役割を奪っていった。


7. 籍帳にもとづく人頭税方式は、農民の浮浪逃亡によって籍帳が有名無実化すると崩壊した。それゆえ、国司が徴税できなくなっていった。


8. 朝廷などは財源を確保するために直営田を設けたが、直営伝の徴収方式は実質的には地税と化しており、後の税収方式の転換の先駆となった。


9. 当時の貴族社会では、結婚した男女は妻側の両親と同居し、母方の縁が重んじられていた。藤原氏天皇のもっとも身近な外戚として、伝統的な天皇の高い権威を利用して、大きな権力を握った。


10. 威子が入内することによって、三代の天皇の皇后がすべて道長の娘という空前の自体が現出し、摂関政治の全盛期をもたらした。


11. 太政官は機能しており、政策の伝達は太政官からなされたが、重要な問題は陣定で話し合われて天皇の決裁の参考にされた。官吏の人事権は摂関が掌握していたので、中・下級貴族は摂関家に隷属した。


12. 頼通が入内させた娘が皇子を産まなかったため、藤原氏を生母としない後三条天皇が即位して天皇親政が始まった。藤原教通が関白となったが、天皇外戚ではなかったため力をもてなかった。


13. 当時は新羅や唐の商人が頻繁に来航して貿易が行われていた。また、安史の乱以来唐の衰退が著しかったため、道真は、あえて危険を冒してまで渡唐する必要はないとした。


14. 中国では宋がおこり、渤海は遼に滅ぼされ、朝鮮半島では高麗がおこった。日本は、それらの諸国とは国交を開かなかった。高麗とのあいだいは商人などの往来があった。


15. 文章経国思想とは、文芸は国家の支柱として国家の隆盛を担う政治的役割をもっているという考え方。


16. 貴族が教養として漢詩文をつくることを重視したためえ、漢文学が盛んになった。儒教を学ぶ明経道や中国の歴史・文学を学ぶ紀伝道が盛んになって、貴族は一族子弟の教育に力を入れた。


17. 桓武天皇の支持を背景に延暦寺を開いた最澄は、大乗戒壇創設をめぐって南都諸宗と対立した。皇室や貴族は加持祈祷による現世利益を求めて密教に期待したが、最澄密教を正式には学んでおらず、正式に密教を学んで帰国した空海嵯峨天皇の支持を得た。正式な密教を学ぶ必要を痛感した天台宗では、円仁・円珍が唐に渡って、その密教化をはかった。


18. 漢字の字画の一部をとってほかを省く省画がなとして生まれた片仮名は、仏典など漢文を訓読する際の補助記号として発達した。貴族の手紙などに用いられるようになる平仮名は、万葉仮名の草書体を簡略化してつくられていった。


19. かな文字が広く使用されるようになり、人々の感情や感覚を日本語で生き生きと書き表すことができるようになったため。


20. 盗賊や乱闘が多くなり、災厄がしきりにおこった世情により末法思想が流行した。そうした世情を背景に、空也が京の市で浄土教をとき、源信が念仏往生の教えをとくなどしたため。


21. 書道では、平安前期における唐風の書にかわって、優美な線を表した和様が発達した。絵画では、中国の故事や風景を描いた唐絵に加えて、日本の風物を題材とし、なだらかな線と上品な彩色をもつ大和絵も描かれた。


22. 定朝が完成したとされる寄木造の手法は、仏像の各部位をそれぞれ別々につくり、あとにそれらを組み上げて造像するものである。寄木造によって、用材の制限を受けずに大きな像をつくることができるようになり、各部位を多くの仏師が分担してつくることによって作業が早く進み大量の需要に応じることができるようになった。


23. 年中行事とは、一年の特定の日に慣習として行われる行事のこと。平安時代の禁忌としては、引きこもってつつしむ物忌や、凶の方角を避けて行動する方違などがあった。

 

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1. 長岡京平安京に遷都した目的を説明できる。
2. 7世紀後半から平安初期にいたる、東北地方への国家の支配領域の拡大の過程を説明できる。
3. 平安京造営と征夷が停止された理由を説明できる。
4. 地方支配の改革という観点から、桓武朝の政治改革を説明できる。
5. (天皇権力の確立という観点から、)嵯峨朝の政治改革を説明できる。
6. 令外官や格式が令制官職や律令にかわる機能を果たすようになった様子を説明できる。(難)
7. 班田収授法ができなくなり、朝廷の財政収入が減少した理由を、農民の動向と租税制度から説明できる。
8. 国家による新たな財源確保方式が、律令国家を変容させる一因となったことを説明できる。(難)
9. 外戚関係という観点から、藤原氏北家の勢力拡大を説明できる。
10. 『小右記』の記事から、藤原道長摂関政治の全盛期を現出できたのかを説明できる。
11. 摂関政治期の政治運営の実態を説明できる。
12. 外戚関係という観点から、摂関政治の終焉を説明できる。
13. 唐の政治状況や商人の活発な活動を念頭に置いて、遣唐使派遣中止の理由を説明できる。
14. 唐滅亡後の東アジアの情勢を捉えたうえで、日本と東アジアの国際関係の実情を説明できる。
15. 文章経国思想とは何かを説明できる。
16. 唐風化の動きを背景とした、漢詩文と学問の発展を説明できる。
17. 最澄空海の活動を対比したうえで、密教が流行していくまでの新仏教の展開を、天台宗真言宗と整理して説明できる。
18. 平仮名と片仮名の発生の由来と発達の過程を説明できる。
19. 11世紀になると多くの文学作品生まれてきた理由を説明できる。
20. 浄土教が流行した理由を説明できる。
21. 書道と絵画について、唐風文化が重んじられた弘仁・貞観文化と国風文化とを比較して、それぞれの特徴を比較できる。
22. 定朝が発明した手法と、その恩恵を説明できる。
23. 貴族の生活を制約する、禁忌や年中行事を説明できる。

 

前回(古代3)の答え

 

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1. 唐の地方官が中央から派遣されていたのに対して、郡司には律令制以前に国造としてヤマト政権に服属していた伝統的な地方豪族が任命された。地方行政は彼らの伝統的な支配力に追うところが多く、律令制下の官僚でありながら、郡司には任期がなく、官位相当が適用されない、職分田も国史よりも多いといった、かつての在地首長としての特権が認められていた。


2. 国家的・社会的秩序を守るために、有位者でも減免しない八虐が定められた。


3. 戸籍は班田収授などのための基本台帳で、計帳は中央政府の財源となる調・庸を徴収するための台帳。


4. 6歳以上の男女に一定額の口分田が与えられ、死者の口分田は6年ごとの班田の年に収公された。


5. 調・庸を運脚で都に運ぶこと、雑徭で労役につくこと、兵役、および出挙が重かった。人頭税とは計帳をもとに人単位に税を徴収すること。


6. 唐が全盛期を迎えるなか、朝鮮半島新羅に統一されて、北方に興った渤海と勢力を争った。


7. 唐から先進的な政治制度や国際的な文化をもたらした。


8. 唐との交流によって先進的な政治制度が移入され、唐の文化や唐経由でもたらされた西域の文化の影響を受けた天平文化が花開いた。新羅渤海とも活発な交流がなされ、経済面での貿易としての側面も大きかった。


9. 平城京は唐の長安をモデルとし、碁盤目状に東西・南北に走る道路で区画される条坊制をもっていた。東に張り出す外京をもっていたのが特徴である。


10. 市は左京と右京に設けられて、東西の市司が監督した。市では、地方から運ばれた産物、官吏たちに現物給与として支給された布や糸などが交換された。


11. 国衙はおおよそ全国一律・画一的な構成で造営された。当初は掘立柱で、8世紀後半から9世紀に礎石建物になった。郡家の配置は地方によって異なり、画一化されていなかった。なお、基本的に掘立柱であった。


12. 東北地方へは、7世紀後半から9世紀に至るまで、軍事侵攻を繰り返した。南九州では8世紀初めに薩摩・大隅国をおき、それ以降隼人の反乱はみられなかった。


13. 藤原不比等は娘の宮子を文武天皇に入内させ、娘の光明子をのちの聖武天皇に入内させた。長屋王の変皇親勢力が失墜すると、藤原四子が実権を握って、光明子を皇太后とした。


14. 藤原広嗣の乱などの政治不安や、疫病・飢饉などの社会不安を背景に、聖武天皇は、仏教のもつ鎮護国家の思想によって国家の安定をはかろうとした。


15. 当時の権力者は天皇との密接な関係によって、個人的な後ろ盾を得ることによってその権力を維持することができた。道鏡孝謙太上天皇の看病にあたったことをきっかけに孝謙太上天皇の後ろ盾を得るに至った。


16. 夫と別姓で自分の財産を所有しており、強い発言力をもっていた。


17. 722年の百万町歩開墾計画の失敗の翌年、三世一身法を出した。その後、743年に墾田永年私財法を出して土地支配を強化したが、一方で初期荘園拡大の契機ともなった。


18. 浮浪・逃亡や偽籍によって籍帳が有名無実となり、国司の徴税に支障をきたすようになった。


19. 最新の知識を吸収するために派遣した遣唐使が、盛唐文化や、唐を経由した西域の文化をもたらした。


20. 政府の立場から統治の由来や国家の形成・発展の経過を示した『古事記』は、日本語を漢字の音・訓を用いて表記したものであったため、中国と同様の律令国家を確立して国家意識を高揚させるためには中国にならって漢文の正史を編纂する必要があったため、『日本書紀』を編纂した。


21. 天皇や宮廷歌人の歌だけでなく、東国民衆の歌なども収録されているため、当時の言葉がよく分かる。


22. 貴族の子弟などのための官吏養成学校で、明経道明法道・音・書・算などが教えられた。


23. 南都六宗とは、奈良の大寺院でさまざまな仏教理論の研究をおこなっていた学僧の集まりであり、次第に学派のようなものを形成した。それらは国家の保護と統制を受けて、国家のために法会などを行った。


24. 鎮護国家の思想とは、仏教によって国家の安定をはかるという思想。


25. 唐から来日した鑑真は戒律を伝え、行基は民衆布教や社会事業を行ったのち、大仏造立にも協力した。


26. 仏教は厳しい統制を受けて、僧侶の活動も寺院内に限られた。また、仏と髪とは本来同一であるとする神仏習合思想がおこった。


27. 聖武天皇の夫人、橘古那可智の邸宅が移築された法隆寺伝法堂からは、天平期の貴族住宅の様子が分かり、平城宮の東朝集殿が移築された唐招提寺講堂からは、平城宮の宮殿建築の様子が分かる。

 

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答えは次の記事で

 

 1. 大宝律令が完成して中央集権国家体制が整ったにもかかわらず、集権体制が不完全であることを、郡司の性質から説明できる。
2. 八虐が定められた理由を説明できる。(難)
3. 戸籍・計帳の作成目的を、それぞれ説明できる。
4. 班田収授法のしくみを説明できる。
5. 公民の負担のうち、どれが重かったか分かる。また、人頭税について説明できる。
6. 8世紀の東アジア情勢を説明できる。(難)
7. 遣唐使や留学生たちが果たした役割を説明できる。
8. 唐・新羅渤海との通交がもたらした政治的・文化的・経済的影響をとらえる。
9. 平城京の構造上の特色を説明できる。
10. 市のしくみや和同開珎の流通の実態を説明できる。
11. 国衙と郡家の特徴を説明できる。(難)
12. 律令国家の、東北への領域拡大と、南九州への領域拡大の違いを説明できる。
13. 皇親勢力と対抗するなかで藤原氏が大きな政治的影響力をもつようになった過程を説明できる。
14. 国分寺建立・大仏造立が進められた、政治的・社会的背景を説明できる。
15. 僧侶の政権という特殊な政治形態が登場した理由を、天皇権力との関係から説明できる。(難)
16. 民衆の家族における女性の地位を説明できる。
17. 土地政策の変化とその意義を説明できる。
18. 農民の浮浪・逃亡がいかにして公民制の動揺をまねいたのかを説明できる。
19. 天平文化の国際性を、その背景とともに説明できる。
20. 『古事記』『日本書紀』の相違点をふまえて、正史や地誌が編纂された理由を説明できる。(難)
21. 『万葉集』の特色を説明できる。
22. 大学・国学設立の目的と、そこで学ばれた教科を説明できる。
23. 南都六宗の形成や、その活動を説明できる。
24. 鎮護国家について説明できる。
25. 鑑真と行基の活動を説明できる。
26. 国家の保護・統制下に置かれた仏教のありかたと、仏教の新たな動きを説明できる。
27. 寺院の一部には移築された建築物があるが、そうした建築物が研究上どのように重要なのかを説明できる。

 

前回(古代2)の解答

  

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1. 高句麗の圧迫により百済新羅が南下し、伽耶百済新羅支配下に入った。このため、伽耶と結びつきのあったヤマト政権の朝鮮半島での影響力は後退した。


2. 様々な先進技術と知識、とくに文書作成能力に優れた渡来人と結ぶことによって、最新の知識を吸収し、朝廷の実務や財政の実権を握ったから。また、大伴氏・物部氏といった対抗勢力の力を削ぐことに成功したから。(なお、蘇我氏と結んだ代表的な渡来人系氏族は①東漢氏(軍事・土木・建築)②鞍作(仏像製作)③西文氏・葛井・船(漢字・行政))


3. 冠位十二階は王権組織を官僚制的に再編成するものであり、憲法十七条は豪族たちに官僚としての自覚を求めて新しい政治理念として仏教を重んじるものであった。こうして中央行政機構を整えて、中央集権的な国家体制の構築を目指し始めた。


4. 『隋書』によると、600年に倭国の王が使者を遣わしてきたときに、隋の皇帝が倭国の王の政治方式や外交方式を諌めたことが記されている。その後、冠位十二階の制や憲法十七条で国内体制を整えた倭国が607年に再び使者を遣わしたことが『日本書紀』と『隋書』から分かる。倭国朝鮮半島に対する影響力を強めるために隋唐の対等な外交を目指した。また、翌年には、最新の知識や文化を学ぶために、留学生なども遣わした。


5. 中国の統一国家である唐が七世紀半ばに高句麗への侵攻を開始すると、国際的な緊張が高まった。そのため、周辺諸国は唐の存在に対抗するために国家体制を強化する必要性を感じて、中央集権の確立と国内統一へと向かっていった。中大兄皇子らは王族中心の中央集権をめざして、蘇我蝦夷・入鹿を滅ぼして政治改革を進めた。


6. 公地公民制・統一的税制・地方行政組織を刷新する旨の詔をだし、中央官制を整えて宮を新たに造営することによって、中央集権体制を目指した。


7. 朝鮮半島では、唐と新羅が結んで百済を滅ぼした。倭国新羅との関係が良好ではなかったため、百済の滅亡は朝鮮半島からの文化流入経路の喪失につながる恐れがあったから。また、倭国に滞在していた百済王子を王として百済の復興ができれば、倭国朝鮮半島への影響力が増大することになるから。


8. 白村江の敗戦は、本来ならば中央集権によって自らの権限が朝廷に奪われることに抵抗する傾向のある諸豪族にも危機感を抱かせた。それゆえに、国家体制を強化する中央集権体制設立に対する豪族の抵抗は弱まり、豪族の協力も得られたから。


9. 近江朝廷側についた旧来の有力中央豪族が失権し、天武天皇が強大な権力を手にしたから、中央集権的国家体制の形成が進んだ。


10. 飛鳥の地に最初に営まれた大王宮は、推古天皇が即位した豊浦宮である。これ以後、大王一代ごとに営まれる大王宮は飛鳥周辺に集中するが、有力な王族や豪族は、大王宮とは別に独自の宮・邸宅を営んだ。このことは、中央集権化の途上にある当時の王権の状況を反映している。藤原京は恒久の都として造営され、宮の周辺に王族や豪族が集住させられた。政務や儀式の場も整えられて、新しい中央集権国家を象徴する都となった。


11. 飛鳥時代には、古墳に代わる氏族の結集の象徴として氏寺が建立された。白鳳文化は中央集権を目指すという形成期国家の清新な文化で、百済が滅亡して唐との交流が途絶えるなか、白村江の戦いの後に関係を修復した新羅を経由してもたらされた。

 

 

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以下の問に答えられますか

 答えは次の記事で

1. 朝鮮半島の情勢を説明できる。
2. 渡来人と結んだ蘇我氏がなぜ勢力を拡大できたのかを説明できる。(難)
3. 冠位十二階と憲法十七条の目的から、推古朝の目指す方向性を示すことができる。
4. 史料を用いて、隋との外交の特色を説明できる。
5. 大化改新の背景を、東アジアの動きから説明できる。
6. 改新詔が中央集権を目指した(達成したではない)ものであることを理解できる。
7. 白村江の戦いを唐と朝鮮三国と倭国との関係から説明できる。
8. 白村江の戦いの敗戦が中央集権化をすすめたことを理解できる。
9. 壬申の乱が中央集権化をすすめたことを理解できる。
10. 飛鳥が都としての性格をもつようになる過程を、中央集権化の進展のなかに位置づけることができる。(難)
11. 氏寺が建立された背景を説明できる。
12. 白鳳文化の特徴を、7世紀後半から8世紀初頭の政治の動向、および新羅との関係から説明できる。

 

前回(古代1)の解答

 

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1. 日本における旧石器文化の存在を証明した。


2. 狩猟と植物性食料の採取の生活を送っていた。


3. 温暖化により日本列島が形成され、大型動物が姿を消して中小動物が増え、植物相も落葉広葉樹林に変化した。中小動物を捕らえるために弓矢を発明し、土器の発明によって豊富な食料を加工・保存することが可能となり、磨製石器の使用も始まった。


4. 弓矢で中小動物を射止め、土器で植物性食物を煮、磨製石器で木を加工するなどした。


5. デンプン(炭水化物)の供給源となった。


6. 花粉を分析した結果、集落周辺のクリ林が1000年以上にわたって維持されていた。また、出土したクリの実のDNAが均一であった。


7. 水辺に近い台地上での定住が始まり、集落を形成した。丸木舟などを利用して遠方と交易をしていた。


8. あらゆる自然物や自然現象に霊異が存在すると考えるアニミズムを背景に、呪術的風習を行い、土偶・石棒を作り、抜歯・屈葬を行った。

アニミズムについて詳しくは ↓

daremotokushinai.onestep-mugi3.com


9. 中国における強力な統一国家の登場は、朝鮮半島などの周辺地域に対する圧力となり、渡来人などによって稲作などの大陸の文化がさらに周辺に広がった。


10. 水稲耕作の開始により、食料採集段階から食糧生産段階に移行した。


11. 大陸からは水稲耕作や金属器を受容して、土器や住居などの在来の文化と融合して弥生文化が誕生した。


12. 湿田に直播きして、石包丁による穂首刈りをしていた段階から、中後期になると灌漑技術の発展と金属器の普及によって、乾田に田植えをして、鉄鎌による根刈りも始まった。


13. 集落を構成する住居の数が多くなり、大規模な集落も現れた。環濠集落なども現れた。


14. 集団の中に身分差が現れ、各地に強力な支配者が出現したことが分かる。


15. 共同体の祭祀のために用いた。


16. 倭国における2世紀の争乱がおさまらなかったため、諸国は共同して邪馬台国卑弥呼を女王として共立した。魏の皇帝に使いを送って「親魏倭王」の称号と金印、また銅鏡などを贈られた。


17. 呪術的県を背景とした卑弥呼を男弟が補佐した。租税・刑罰の制度があった。


18. 男の王をたてたが、争乱になったことから、個人のカリスマに依存していたことが分かる。


19. 近畿説ならば、邪馬台国はヤマト政権に直接つながる可能性が高くなる。九州説ならば、ヤマト政権が邪馬台国を滅ぼしたか、邪馬台国が東征してヤマト政権となったと考えることもできる。


20. 大陸北方の諸民族が南下して、中国は南北朝時代に突入した。それゆえに、周辺民族に対する中国の支配力は弱まり、朝鮮半島では国家形成が進んだ。


21. 鉄資源を求めて朝鮮半島に影響力を拡大した倭国は、朝鮮半島内部において優位な立場を得られるように、軍事的称号を得ようとした。


22. 倭王武の上表文では、ヤマト政権が軍事的に周辺の広範囲にわたって支配力を広げていったことが主張されているが、これは東の埼玉県や西の熊本県から出土した銘文によって、日本列島の一定地域については裏付けられる。


23. 豪族の同族組織である氏に、氏を単位として政権の職務を分担させる制度。


24. 乱に破れた磐井の子が屯倉を献上したように、豪族の土地を屯倉という直轄地として、名代・子代を設定して、豪族を国造に任命して地方支配を保障した。


25. 出現期最大の前方後円墳がある大和地方を中心に、広域的な政治連合が形成されたから。


26. 前期の前方後円墳の竪穴式石室に、呪術的で宗教的色彩の強い副葬品が埋葬されていることから、司祭者的性格の首長がいたことが分かる。中期になると副葬品が鉄製武器や馬具に変わることから、首長の武人的性格が強まったことが分かる。


27. ヤマト政権の力が強大化し、その勢力圏が全国に広がったことがわかる。


28. ヤマト政権は渡来人を「部」に組織して、知識と技術の独占を図った。


29. 5世紀には漢字は伝来しており、渡来人によって儒教や医術・暦などが伝えられ、百済聖明王から欽明天皇に仏教が公伝された。


30. 横穴式石室や埴輪は新たな死生観を示し、副葬された土器は死者との共食をともなう儀礼に使われたと推測される。


31. 台頭してきた有力農民を、ヤマト政権が直接支配下においた。


32. 各地の豪族が連合して政権をつくる形から、大王を中心としたヤマト政権に各地の豪族が服属する形へと変化した。


33. 民衆は弥生時代以来の生活を送っていたが、集落からは環濠がなくなり、豪族は集落から離れた場所に環濠や柵列をもった居館を営んだ。


34. 弥生時代の貫頭衣から、古墳時代の男性は衣と袴、女性は衣と裳というように上下に別れたものを着るようになった。


35. 豊作を祈る祈年祭や、収穫を感謝する新嘗祭が行われ、巨大な岩などを神のやどるところと考えて祭祀の対象とするなど、現在の神社の信仰などにつながるものもある


36. ヤマト政権が中央集権的な国家形成を目指して、古い首長連合体制やその象徴である前方後円墳との決別するために、豪族の前方後円墳造営を規制したから。


37. 大王のみに固有の八角墳を営んで、大王がほかの豪族層を超越した存在であることを示そうとした。

 

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大学受験 日本史 国公立2次向け 理解度チェックリスト(古代1)

以下の問に答えられますか

 

答えは次の記事で

 

1. 岩宿遺跡発見の意義が分かる。
2. 打製石器の使用法から旧石器時代の人びとの生活を推測できる。
3. 気候の変化から縄文文化(弓矢・土器・磨製石器)の成立を説明できる。
4. 弓矢・土器・磨製石器の使用法が分かる。
5. 植物性食料の重要性を理解できる。(難)
6. マメ類・雑穀が栽培されていたと考えられる理由を説明できる。(難)
7. 縄文人の集落・社会、および交流・交易の実態を説明できる。
8. 縄文人の信仰や風習のあり方が分かり、その背景を説明できる。
9. 弥生文化成立の過程を中国大陸や朝鮮半島の動きから説明できる。(難)
10. 縄文時代から弥生時代にかけての食料獲得法の変化が分かる。
11. 弥生文化の特徴を、中国・朝鮮など外来新文化の受容と、在来の縄文文化の継承という二つの面から説明できる。
12. 弥生時代水稲耕作の変化を説明できる。
13. 水稲耕作を基盤とする集落の様子を、縄文時代の集落と比較して説明できる。
14. 大型墳丘墓が出現したことの意味が分かる。
15. 青銅製祭器を用いた祭祀の目的を説明できる。(難)
16. 「魏志倭人伝を用いて、邪馬台国連合成立の経緯と、外交の実態を説明できる。
17. 邪馬台国の統治組織や租税制度を説明できる。(難)
18. 卑弥呼死後の情勢から、特定の個人に依存する邪馬台国連合の実態を説明できる。(難)
19. 邪馬台国近畿説をとる場合のヤマト政権の成立過程と、九州説をとる場合のヤマト政権の成立過程を説明できる。(難)
20. 四世紀における中国情勢が朝鮮半島における国家形成をうながしたことを説明できる。(難)
21. 倭国と朝鮮諸国との関係が分かり、その関係から倭の五王が中国に朝貢した目的を説明できる。
22. 倭王武の上表文と古墳出土の鉄剣・鉄刀銘からヤマト政権の勢力拡大を説明できる。
23. 氏姓制度の仕組みを説明できる。
24. 国造制と屯倉・名代・子代の成立を、磐井の乱から説明できる。(難)
25. 地域性が強かった弥生時代の墓制と比較して、出現期の大規模古墳が画一的な特徴をもっていることの理由を説明できる。
26. 前期・中期古墳の特徴を、墳形などの概観と埋葬施設などの内部からとらえ、前期から中期にかけての被葬者の性格の変化を説明できる。
27. 中期における古墳の巨大化と分布の拡大の背景を説明できる。
28. ヤマト政権における渡来人の役割を説明できる。
29. 漢字・仏教・儒教といった新知識の受容を説明できる。
30. 横穴式石室や副葬品の変化、人物・動物埴輪の増加から、葬送儀礼の変化を説明できる。(難)
31. 群集墓が造営されるようになった背景を説明できる。
32. 近畿中央部以外での古墳の規模縮小や、群集墳の出現から、ヤマト政権の性格の変化を説明できる。
33. 豪族と民衆の生活の違いを説明できる。(難)
34. 古墳時代の道具や衣服のあり方を弥生時代と比較できる。(難)
35. 信仰や祭祀のあり方をとらえ、それが現在の神社の淵源であることが分かる。
36. 首長墓が前方後円墳ではなくなった理由を説明できる。
37. 大王が八角墳を造営した理由を説明できる。

 

前回(昭和時代3・平成時代)の解答

 

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1. 在日アメリカ軍の軍事的空白を埋めるために、GHQの指令で警察予備隊が新設された。公職追放解除もすすめられた、共産党幹部や共産主義者を追放するレッド=パージが始まった。こうして、西側陣営の一国としての位置を確立した。


2. 破防法などで治安体制を整備して、警察も中央集権化した。また、アメリカの要求に応じて自衛隊を発足させて防衛体制を強化した。革新勢力はこれを「逆コース」と批判し、自民党内でも吉田首相に反発する勢力が増大した。


3. 合同することによって、社会党改憲阻止に必要な3分の1の議席を確保した。左派社会党の躍進に危機感をもった財界は、日本経済の安定のため、政府の補助金や保護を期待して、保守合同を求めた。


4. 革新勢力の側は安保改定阻止国民会議を組織した。条約が調印されると、安保改定反対運動が盛り上がり、条約が衆議院で強行批准されると運動は一挙に高揚して、巨大なデモが連日国会を取り巻いた。条約批准案は参議院の議決を経ないままに自然成立し、岸内閣は総辞職した。


5. 池田内閣は革新勢力との政治的対立を回避し、「所得倍増」のスローガンを掲げた。中国とLT貿易を開始した。


6. 佐藤内閣は日韓基本条約を締結し、「非核三原則」を明確化して、沖縄の変換を実現した。


7. インフレを激化させた復興金融金庫がドッジ=ラインで貸付を停止され、米国のエロア資金も停止される予定となった。そこで、政府は産業開発と経済の発展を促進するために、輸出振興を目的とする日本輸出銀行と産業資金の供給を行う日本開発銀行を設立した。また、企業合理化促進法を制定して、企業の設備投資に対して税制上の優遇措置をとった。


8. 電力業は、民有民営形態の地域別9電力体制に再編成された。造船業では政府主導の計画造船が進められて、日本の造船料は1956年に世界第1位となった。鉄鋼業では、第1次合理化計画が実施された。


9. 設備投資と技術革新を行い、日本的経営を確立すると、1955~73年にかけて年平均経済成長率は10%前後を維持し続けて、1968年にはGNPが世界第2位となった。


10. 1960年に「貿易為替自由化大綱」を決定し、1963年にGATT11条国へ移行して輸入制限ができない国となった。1964年にはIMF8条国へ移行して為替の、1964年にOECDに加盟して資本移動の自由化を実施した。


11. 個人所得が増大し、都市化の進展による生活様式の変化によって、大衆消費社会が形成された。太平洋ベルト地帯が出現した。農村と都市のひずみが大きくなった。「消費は美徳」の時代となり、流通革命や生活の洋風化も進展した。モータリゼーションが進展して、新幹線も開通した。レジャー産業やマス・メディアが発達し、国民の中流意識が誕生した。


12. 農村は過疎化し都市は過密化した。四大公害など公害が深刻化し、政府は1967年に公害対策基本法を制定して、1971年には公害行政と環境保全の一体化をはかるために、環境庁を発足させた。なお残る部落差別に対して、1969年に同和対策事業特別措置法を、1982年に地域改善対策特別措置法を制定した。


13. 大都市圏で日本社会党共産党が推薦する革新首長が生まれた。革新自治体は、公害の規制や老人医療の無料化など、福祉政策で成果をあげたが、地方財政の赤字もふくらんだ。


14. 国際収支が悪化したアメリニクソンショックをおこすと、日本や西洋諸国は変動為替相場制へと移行した。第4次中東戦争は第一次石油危機へとつながり、日本経済は大打撃を受けた。こうして、経済成長率の低下や物価・失業率の上昇とういう深刻な事態に直面した先進国は、先進国首脳会議を開催して、先進国間の経済政策を調整した。


15. 列島改造による公共投資の拡大は地価を高騰させ、第一次石油危機による原油価格の高騰も重なって、激しいインフレが起きて市民生活は混乱した。こうして日本経済は戦後初のマイナス成長となり、高度経済成長は終焉した。


16. 1970年代の後半、日本は企業の「減量経営」などによって、5%の成長率を維持した。第2次石油危機による原油価格の上昇もあったが、1980年台前半にも3%の成長率と低い失業率を維持した。しかし、日本の貿易黒字がふくらんだため、日米貿易摩擦が深刻化した。


17. 鉄鋼・石油化学・造船といった「重厚長大型産業」が停滞し、半導体・IC・コンピューターといった「軽薄短小型産業」が発展した。


18. 対日貿易赤字がふくらんだアメリカは、自動車などの輸出自主規制や農産物の輸入自由化を日本に迫った。日本政府は、1988年に牛肉・オレンジの輸入自由化を決定して1991年に実施した。


19. 日本は内需を拡大させ、景気を刺激するために、公共事業の拡大や公定歩合の引下げによる低金利政策をとった。しかし、超低金利によって市場にダブついていた余剰資金は、土地や株式の購入に向かい、地価や株価が高騰した。地価と株価の高騰で泡(バブル)のようにふくらんだ好況となったため、これを「バブル経済(景気)」という。


20. 湾岸戦争の際、日本はアメリカに「国際貢献」をせまられ、多国籍軍に多額の資金援助をおこなった。1992年、宮澤喜一内閣のもとでPKO協力法が成立して、自衛隊の海外派遣が可能になり、自衛隊PKOに派遣し始めた。


21. 自民党政権の金権・腐敗が国民の激しい非難を浴びると、1993年に自民党は分裂して、総選挙で過半数割れを喫した。こうした政界再編の結果、共産党を除く非自民8党派の連立政権が、日本新党細川護熙を首相として発足した。こうして55年体制は崩壊し、従来の保守と革新の対立は曖昧となり、不安定な連合政治の時代に突入した。


22. バブル経済の崩壊後、株価と地価が暴落して景気が後退した。株や土地は不良債権化し、金融機関の経営は悪化して破綻・倒産が相次ぎ、企業のリストラによって雇用不安となるなど、複合不況となった。


23. 小泉内閣は小さな政府をめざして、「聖域なき構造改革」を標榜し、財政赤字の解消と景気の浮揚をめざして郵便事業道路公団の民営化をおこなった。北朝鮮による日本人拉致問題解消を目指して訪朝し、日朝平壌宣言を発表した。自衛隊イラクに派遣した。また、有事関連法案を成立させて有事法体制を整えた。

 

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大学受験 日本史 国公立2次向け 理解度チェックリスト(昭和時代3・平成時代)

以下の問に答えられますか

 

答えは次の記事で

 

1. 朝鮮戦争によって、日本が西側陣営の位置を確定したことを説明できる。
2. 独立後の吉田内閣の内政と外交の概要と、それに対する反発を説明できる。
3. 社会党統一の政治的意義と、保守合同に期待する財界の要望と期待を説明できる。
4. 60年安保闘争を説明できる。
5. 池田勇人内閣の政策を説明できる。
6. 佐藤栄作内閣の政策を説明できる。
7. 政府による経済復興政策でつくられた金融機関の役割と、政府の援助を説明できる。
8. 高度経済成長前の産業界の状況を、電力業、造船業、鉄鋼業の3視点から説明できる。
9. 高度経済成長の概要について説明できる。
10. 貿易拡大により、日本が求められた為替と資本の自由化を説明できる。
11. 大衆消費社会の概要を説明できる。
12. 高度経済成長の裏で拡大したさまざまな矛盾を説明できる。
13. 革新自治体について説明できる。
14. ベトナム戦争によるアメリカ経済力の弱体化や第4次中東戦争とが、日本経済へ及ぼした影響を説明できる。
15. 田中角栄の「列島改造論」が日本経済に与えた深刻な影響を説明できる。
16. 安定成長と、その外交的影響について説明できる。
17. 日本の産業構造の転換について説明できる。
18. 貿易摩擦におけるアメリカの対日要求と、日本の対応を説明できる。
19. バブル経済について説明できる。
20. 湾岸戦争以後の国際情勢に、日本がどのように関わったのかを説明できる。
21. 細川護熙内閣の成立事情と、細川内閣成立の歴史的意義を説明できる。
22. 平成不況の特徴を説明できる。
23. 小泉純一郎内閣の政策を説明できる。

 

前回(昭和時代2)の解答

 

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1. 連合国は、巨額の賠償金を敗戦国に課したヴェルサイユ条約の失敗にかんがみ、敗戦国が2度と戦争に訴えることのないよう、長期の占領を通じて、その国家と社会を平和的な仕組みに改革する道を選んだ。


2. 日本は、事実上アメリカ軍事による単独占領で、非軍事化と民主化による日本社会の改造が目指された。GHQの指令・勧告にもとづいて日本政府が政治を行う、間接統治の方法がとられた。ワシントンには占領政策決定の最高機関として極東委員会がおかれ、東京には諮問機関である対日理事会が設けられた。


3. 東久邇宮稔彦内閣は、進駐軍を受け入れて日本軍の武装解除をし、降伏文書に調印したが、GHQの人権指令に対応できずに総辞職した。幣原喜重郎内閣は、五大改革指令を受け入れ、戦争犯罪人を逮捕して極東国際軍事裁判所を設置した。1946年1月には、いわゆる天皇人間宣言が出され、公職追放が始まった。


4. 財閥と寄生地主制が日本軍国主義の温床とされ、経済の民主化がはかられた。財閥解体では、持株会社整理委員会をつくり、独占禁止法過度経済力集中排除法を定めた。寄生地主制に対しては、2度に渡る農地改革を行った。労働三法で労働者を保護し、教育基本法などで教育の自由主義的改革を行った。


5. 旧立憲政友会系の人々は、翼賛選挙時の非推薦議員を中心に日本自由党を結成し、旧立憲民政党系の人々は、翼賛体制期に大日本政治会に属していた議員を中心に日本進歩党を結成した。また、旧無産党政党は日本社会党となり、田中内閣の3・15事件で逮捕されていた徳田球一を中心に、日本共産党が合法政党として活動を開始した。


6. 幣原喜重郎内閣の憲法草案は、依然として天皇統治権を認める保守的なものであった。そこで、GHQは極東委員会の活動が始まる前に、アメリカ主導で憲法制定するために、英文のマッカーサー草案を作成して、日本政府に提示した。


7. 物不足と通貨の増発によってインフレーションとなったため、幣原内閣は預金を封鎖して新円を発行して貨幣流通量を減らすために、金融緊急措置令を発したが、効果は一時的であった。さらに、傾斜生産方式を採用して石炭・鉄鋼産業へ資金を提供したために、結局はインフレが継続することになった。


8. 大衆運動の高揚を背景に、日本社会党衆議院第一党となった。日本社会党の片山首相は民主党国民協同党との連立内閣を発足させたが、政策調整に苦しみ翌年辞職した。ついで民主党総裁の芦田均内閣が、同じ三党の連合として発足したが、昭和電工事件で退陣した。


9. IMF国際通貨基金)とIBRD(世界銀行)で、安定した通貨のブレトン・ウッズ体制を構築し、GATT(関税及び貿易に関する一般協定)で国際貿易の促進を目指して、アメリカ主導で、ドルを基軸通貨とする固定為替相場制と自由貿易体制のもとで資本主義的世界経済の再建をはかる枠組みを構築した。


10. 初期の占領目標は、非軍事化・民主化を通じて日本社会を改造し、アメリカや東アジア地域にとって日本が再び驚異となるのを防ぐことにあった。しかし、国共内戦における共産党の優位をうけて、アメリカの対日占領政策は、日本を政治的に安定した工業国として復興させ、西側陣営の東アジアにおける主要友好国とするように転換した。


11. 日本の経済的自立を促進するために経済安定九原則を示して、ドッジ=ラインで財政支出の大幅削減をおこない、単一為替レートを設定し、直接税中心の税制改革を行った。これらによってインフレは収束したが、不況が深刻化した。これに対して労働運動が高揚したが、下山事件などの嫌疑をうけて、労働者側は結局押し切られた。

 

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