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金融恐慌 院政 など

受験生からの質問と回答集です。

基本的には下書きの下書きです。機会をみて、まとまった文章にします。

 

金融恐慌の際に若槻内閣は枢密院に緊急勅令を拒否されたのにどうして田中内閣の時はすんなり日銀の救済がうけりたんですか?

 

第1次若槻内閣は憲政党で、幣原外相の協調外交路線やん。
そんで、枢密院は協調外交止めさせたかったから、外交とは別件の金融恐慌のときに嫌がらせをして
、緊急勅令案を通させなかったよね。
ここまではオッケーだと思う。
田中は立憲政友会で若槻の憲政会のライバルでしょ。だから、総理になる前から協調外交には反対していて、野党時代(若槻の憲政会内閣のときは立憲政友会が野党)から、憲政会を「軟弱外交」って攻撃していた一派なんよ。だから、田中が組閣するときにはすでに枢密院と仲が良くて、枢密院をバックにしてたというか、枢密院の望みをかなえるための内閣的なポジションでもあった。
だから、枢密院はすんなり田中内閣の味方をしたの。
重要なポイントは、若槻内閣のときから、枢密院だって支払猶予令は必要だと思っていた。でも、協調外交の若槻内閣を倒すためだけに、緊急勅令案に反対したってわけ。国家の利益よりも自分の利益とか政局を優先したって言い方もできる。だから、強硬外交内閣ができれば、枢密院はまっさきに支払猶予令に賛成するんです。

 

承久の乱の直前に後鳥羽上皇土御門上皇順徳上皇の3人が上皇としていたと思うんですけどこの3人の鼎立とか関係性ってどんな感じだったんですか?

 

上皇が複数いるのはフツーの状態。その複数の上皇のうちで、天皇家の家長として権力握っているのが「治天の君」。
その三人だと。後鳥羽上皇治天の君。あとはザコ。
世代的には、土御門と順徳は後鳥羽の子ども世代。
土御門上皇承久の乱には全然関係なかったけど、なんかしらんけど自分から配流になりたいとか言い出して、流罪になった。
順徳上皇は学問系で『禁秘抄』書いて、すぐに譲位したら承久の乱にまきこまれた的な、上皇のなかでも一番の新参者。

 

院政期に上皇が人事権を掌握したってあるんですけどその原因は何だったんですか?

 

①摂関期に人事権を掌握していた摂政関白の力が衰えた。
②人事を行う公卿会議のありようが変わった。(律令制下では太政官会議→摂関期は陣定→院政期は院御所議定)
まあ、①がデカイよね。科挙が機能していない限り、人事権なんて権力者が握っているもんだし。その権力の有りどころが摂関から院に移ったくらいに考えていていいよ。

 

埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣に、「...ワカタケル大王の寺、斯鬼宮に在る時、...」とあり、この寺は宮廷の意とありますが、仏教伝来前のこの「寺」の使われ方と、仏教における「寺」に何か関係性はあるのでしょうか。

 

「寺」ってあるのに、どう考えても仏教との関係がないので、文脈上「宮廷」的な意味だろうって言われているだけ。ほかに類例がないから、文脈からの推定。
誤字の可能性すらある。
つまり、仏教との関係性はない。

 

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