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大学受験 日本史 国公立2次向け 理解度チェックリスト(江戸時代後期3)

 以下の問に答えられますか

答えは次の記事で

1. アヘン戦争後の幕府の対外政策を説明できる。
2. アメリカの対外政策の推移と、ペリー来航の目的を説明できる。
3. ペリー来航への幕府の対応を説明できる。
4. 日米修好通商条約の内容と、その不平等性を説明できる。
5. 開港場における貿易の特徴と、貿易の開始が日本の経済へおよぼした影響を説明できる。
6. 貿易に対する幕府の対応と、その影響を説明できる。
7. 将軍継嗣問題について説明できる。
8. 井伊直弼の政治について説明できる。
9. 桜田門外の変後の幕政について説明できる。
10. 幕末の世直し一揆新興宗教の発展、「ええじゃないか」の背景を説明できる。
11. 大政奉還の上表にいたる土佐藩や15代将軍徳川慶喜のねらいを説明できる。
12. 王政復古の大号令を小御所会議のねらいと関連させ、倒幕派のねらいを説明できる。
13. 幕末期の科学技術導入の思想的影響を説明できる。

 

前回(江戸時代後期2)の解答

 

nobuta.onestep-mugi3.com

 

1. 海防では、蝦夷地を調査して直轄地とし、各地の海岸防衛を強化した。ロシアに対してはラクスマン・レザノフの通商要求を拒否して関係が悪化したが、ゴローウニン事件によって改善された。イギリス船フェートン号の暴虐を防げなかった幕府は、江戸湾の防備を命令した。また、散発するイギリス・アメリカ船の上陸などを受けて、従来の薪水給与方針を転換して、異国船打払令を出した。


2. 奔放な大御所政治のもとで、都市では商人の活動が活発化して庶民文化が開花した。農村では階層分化が深まって荒廃地域が生まれたため、幕府は関東農村の秩序を維持するために関東取締出役を設置して寄場組合をつくらせた。


3. 天保の飢饉が庶民を苦しめているにもかかわらず、大坂の米を江戸に廻送していた大坂町奉行や商人に対して、大坂町奉行所元与力で陽明学者の大塩平八郎武装蜂起したが、鎮圧された。しかし、その影響は全国に及び、生田万の乱など、大塩に共鳴する乱や一揆が各地で起きた。


4. 日米交易をはかるアメリカ商船モリソン号が、日本人漂流民を連れて浦賀に現れたが、幕府は異国船打払令にもとづいて砲撃を加えた。この事件について、渡辺崋山高野長英が批判を加えたが、幕府はそれらを厳しく処罰した。


5. 内憂外患に対応するため、水野忠邦を中心に幕府権力の強化を目指して改革が行われた。倹約令を出した後、人返しの法を発したが効果はあまりあがらなかった。物価の引き下げを目指して株仲間の解散を命じたが、かえって流通の混乱を招いて、物価は騰貴した。水野忠邦が老中に就任する前に、幕府は三方領知替えを失敗していたが、忠邦は日光社参によって農民の不満を高め、上知令の失敗はあらためて幕府権力の衰退を示した。


6. 本百姓体制を維持して農業生産から米年貢を取り立てるという幕藩体制は行き詰まり、人口が激減する地域も現れた。二宮尊徳報徳仕法や大原幽学の性学(欲に負けないこと)のような農村復興運動が見られたが限界があった。


7. 19世紀に入ると、一部の地域や絹織物などの産業分野で地主や商人が家内工場に農業から離れた奉公人を集めて、分業と協業による工場制手工業を営みはじめた。


8. 幕府権威が弱体化する一方、水戸学のような天皇・朝廷を国の上位に位置づける発想が生まれた。朝廷側では光格天皇が復古を求め、公家などの社会も朝廷の権威を求める動きを見せた。


9. 雄藩は中・下級武士の有能な人材を登用して、専売制などによる財政再建と、三都の商人や地主との結びつきを強めて藩権力を強化した。


10. 18世紀半ば、商品経済の発展により富を蓄えた裕福な百姓や、都市の町人・武家が文化の担い手となった。また、寺小屋などが各地につくられ、民衆の中にも識字層が大幅に増加した。


11. 洋学は医学を中心に実学として発達した。洋学は実証的で科学的な研究や学問の発達を大きくうながして、古い体制から抜け出ようとする動きを芽生えさせた。


12. 日本の古典をめぐる実証的研究が国学へと発達し、国文学などの進展をうながした。一方で、尊王論儒学と結びつき、水戸学などで主張されていった。


13. 町人を中心とする庶民の生活倫理を説く心学(石田梅岩)が町人を中心に広がり、安藤昌益など封建社会を批判してそれを改めようとする思想も現れた。


14. 幕府は儒学による武士の教育を奨励して朱子学を重んじ、林家の家塾を幕府直営の昌平坂学問所とした。諸藩では藩校や郷校が設立され、藩士や庶民の教育につとめた。民間では各地に私塾が開かれて儒学国学蘭学などが講義され、多くの寺小屋が設立されて民衆文化の発展に寄与した。


15. 江戸中期の文学では、洒落本や黄表紙などの小説や川柳が、身近な政治や社会を題材として、広く民衆のものとなった。芸能では、浄瑠璃や歌舞伎などですぐれた作品が登場して、歌舞伎の江戸三座が栄えた。


16. 浮世絵では、鈴木春信によって錦絵が完成し、版画作成技術や出版業の発達とともに浮世絵の全盛期へと向かった。円山応挙が写生画を描き、一部の知識人は文人画を描いた。蘭学の隆盛につれて西洋絵画の技法が長崎を通して伝えられ、西洋画も描かれた。


17. 家斉の治世、文化・文政期を中心に天保の改革のころまでに栄えた。三都の繁栄を背景に下層の民衆をも基盤として、都市を中心に町人文化が発達した。


18. 幕藩体制が動揺する中で、学問・思想の分野でも体制への批判的視点が醸成されて、近代を準備した。経世家封建制の維持や改良を説き、水戸学や国学復古神道尊王思想で幕末に影響を与えた。豪農・豪商の中から多くの知識人が輩出し、伊能忠敬は全国の沿岸を実測した。洋学は実学としての性格をさらに強め、蛮書和解御用も設けられた。新たな私塾も現れて、幕末から明治はじめに活躍する人材を育てた。


19. 風刺・滑稽を主とした滑稽本や、市井の男女の通俗的恋愛小説の人情本が流行し、文章主体で歴史や伝説を題材とした読本も書かれた。俳諧では小林一茶が登場し、鈴木牧之は雪国の自然や生活を紹介した。


20. 安価な浮世絵が広く普及し、葛飾北斎歌川広重らが出て、のちに西洋印象派の画家に影響を与えた。写生画では呉春が、文人画では田能村竹田・谷文晁・渡辺崋山が出た。西洋画では司馬江漢が銅版画を考案した。


21. 多くの都市で常設の芝居小屋がにぎわい、都市の民衆を中心とする芸能がさかんになった。都市の芸能は村芝居に伝播して、地方でも受容された。縁日や開帳などの催しや神社参詣・巡礼・庚申講も多くの人々を集めた。

 

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