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大学受験 日本史 国公立2次向け 理解度チェックリスト(大正時代1・明治文化)

以下の問に答えられますか

 

答えは次の記事で

 

1. 第2次西園寺公望内閣をめぐる政治状況と、総辞職の理由を説明できる。
2. 元老が大隈重信に組閣させたねらいと、大隈内閣の結果を説明できる。
3. 第一次世界大戦前の国際関係と対立の状況を理解させ、日本の国際的な立場を説明できる。
4. 日本が大戦に期待したことと、参戦したねらいを説明できる。
5. 第一次世界大戦中に、日本が勢力を拡大するために行ったことと、その国際的影響を説明できる。
6. 第一次世界大戦による好況が、日本経済の構造をいかに変え、工業国となったかを説明できる。
7. 吉野作造普通選挙制と政党政治の実現を主張した理由を説明できる。
8. 米騒動の結果と、歴史的意義を説明できる。
9. 原敬内閣の政策と、その内閣の結果を説明できる。
10. 条約に対する日本の対応と、中国・朝鮮民衆の動向を説明できる。
11. ワシントン会議の目的と結果を、3つの条約内容から説明できる。
12. 大戦後の社会運動の勃興の概要を説明できる。
13. 清浦奎吾内閣に対して起こった運動と、その結果誕生した護憲三派内閣の政策の概要を説明できる。
14. 第二次護憲運動以降、大正・昭和初期の政党の動きを概観できる。
15. 都市化を担った階層や、女性の社会進出について説明できる。
16. 文化や経済の二重構造を説明できる。
17. 大衆文化の前提条件を、教育とマス=メディアから説明できる。
18. 大正時代の学問の動向を概観できる。
19. 大正期の文学の動向を概観できる。

 

前回(明治時代4)の解答

 

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1. 貿易が輸出超過に転じ、銀本位制が確立して物価が安定すると、経済活動が活発化して金利も低下して、人々は株式へ投資して会社設立ブームが鉄道や紡績を中心にはじまった。


2. 政府は貨幣法で金本位制を確立して貨幣価値の安定と貿易を振興して、特殊銀行を設立して特定の分野に資金を供給した。


3. 桑を植え、繭を育てる養蚕業は江戸時代以来山間部の人々に現金収入を与えるものとして盛んであった。また、山村の農民の子女を女工としても集めやすく、低賃金労働を強要できた。


4. 重工業の成長を支える鉱山が払い下げや民営化で成長し、重工業の基盤とんなる鉄鋼の国産化を目指して官営八幡製鐵所が設立された。日露戦争後には八幡製鉄所の拡張が計画され、民間の製鋼会社の設立も進んだ。造船技術は世界水準に追いつき、機械をつくる機械である旋盤も先端の技術を確立した。また、電力事業が勃興した。


5. 払い下げで鉱工業の基盤を持つことになった政商は、財閥へと成長した。財閥は、多角的経営を繰り広げ、持株会社を設立した。財閥は株式所有を通じてさまざまな分野の多数の企業を支配するコンツェルン形態を整えた。


6. 日本経済に占める植民地経済の比重が拡大した。朝鮮や満州には綿布を移出して、米や大豆粕を移入した。台湾からは、米や原料糖を移入した。


7. 工業と異なり、農業は依然として零細経営であった。単位面積あたりの収穫は増加したにもかかわらず、都市人口の増加により、米の供給は不足がちであった。輸入品におされて綿作などは衰え、生糸輸出の増加によって養蚕がさかんになった。


8. 地主は小作料収入を公債や株式に投資した。小作農は子女を工場に稼ぎに出して、安価な労働力を供給した。


9. 日清戦争前後の産業革命期に入ると工場労働者のストライキが始まった。労働運動は19世紀末にかけて拡大し、各種の労働組合が組織された。また、足尾鉱毒事件も大きな社会問題となった。


10. 第2次山県有朋内閣は、社会主義者や労働運動を弾圧するために治安警察法を制定した。一方、第2次桂太郎内閣は、日本最初の労働者保護法である工場法を成立させた。


11. 物的な変化に対して精神の変化は緩やかで、都市に比べて農村の近代化ははるかに遅かった。明治の文化には、西洋的なものと東洋的なものが無秩序に混在・併存するという二元性があった。


12. 文明開化期の啓蒙主義や西洋思想導入の動きは、自由民権運動に継承された。明治10年代後半の朝鮮問題を機に、民権論者の中にも国権論を唱えるものが現れた。日清戦争から日露戦争にかけて、対外膨張を支持する国家主義が思想会の主流となった。日露戦争後には国家主義に対する疑問が生まれて、個人主義の風潮が広がったため、第2次桂太郎内閣は、勤倹節約と皇室の尊重を国民に求める戊辰詔書を発して、国民道徳の教科につとめた。


13. 明治初期の神道国教化の試みは失敗したが、政府の公認を受けた民間の教派神道は庶民に浸透した。廃仏毀釈で打撃を受けた仏教は、島地黙雷らの努力で復興した。外国人教師の影響で、青年知識人のあいだにキリスト教を信仰する者が現れた。キリスト教会は教育・福祉活動や廃娼運動などに成果を上げたが、国家主義の風潮が高まると圧迫を受けるようになった。


14. 学校令の一つである小学校令が1890年に改正され、尋常小学校3あるいは4年間の義務教育が明確化された。20世紀に入ると就学率は90%をこえ、1907年には義務教育は6年間に延長された。


15. 1872年の学制は開明的であったが、民衆の負担などの面で批判を受けた。1879年に地方分権的な教育令が公布されたが、翌年には政府の監督責任が強調された改正教育令が出されて、教育の統制が強化された。教育は次第に国家主義を重視するようになり、1890年の教育勅語で、忠君愛国が学校教育の基本であることが強調された。1903年には国定教科書制となり、国家の統制がさらに強まった。


16. 富国強兵・殖産興業政策を推進するために、お雇い外国人を招くなどして、欧米の近代的科学技術の導入を行ったから。


17. 独自の政治的主張をもつ大新聞は、国民への政治思想の浸透に大きな役割を果たし、近代文学の育成と普及にも貢献した。


18. 1880年代には、戯作文学や政治至上主義の政治小説に対して、人間の内面や世相を客観的・写実的に描く写実主義が現れ、言文一致体も提唱された。日清戦争前後には、感情や個性躍動を重んじるロマン主義が盛んになり、日露戦争前後になると、人間社会の暗い現実の姿をありのままに写し出そうとする自然主義が主流となった。自然主義的な身辺の追求に対して、深い教養と社会的関心をもつ余裕派とよばれるものも出た。


19. 歌舞伎は江戸時代以来の卑猥な側面を取り除き、文明開化の風俗を取り入れて社会的地位を向上させた。民権思想を盛り込んだ壮士芝居は、日清戦争前後から通俗小説の劇化を加えて、新派劇とよばれるようになった。日露戦争後には、西洋の近代劇を翻訳・上演した新劇が現れた。


20. 最初は政府が工部美術学校を開いたが、1880年代には日本美術育成の態度に転じてこれを閉鎖し、1887年には西洋美術を除外した東京美術学校を設立した。その後、日本美術院を中心に発展した。こうして衰退した西洋画では、明治美術会が結成され、1896年には東京美術学校に西洋画科が新設され、白馬会が画壇の主流となった。1907年には文部省が日本美術と西洋美術の共存をはかって、文部省美術展覧会(文展)が開設された。(なお、彫刻も同様の流れで、文展で共存にむかった。)


21. 洋服は、官吏・軍人・サラリーマン・学生などの男性の間に普及したが、地方では巡査や教員のみに限られていた。女性はまだ社会進出がなされていないため、和服・日本髪のままだった。

 

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