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大学受験 日本史 国公立2次向け 理解度チェックリスト(昭和時代1)

以下の問に答えられますか

 

答えは次の記事で

 

1. 日本・ドイツ・イタリアが連携を深めていったことについて、説明できる。
2. 華北分離工作の目的を説明できる。
3. 日中戦争に対する近衛内閣の声明がもつ歴史的意味を、説明できる。
4. はじめ、国家総動員法に政党や財界が反発した理由を説明できる。
5. 国家総動員法の歴史的意義を説明できる。
6. 戦時下の思想状況や文化・文学活動について説明できる。
7. 阿部内閣から近衛内閣成立にいたる経緯を説明できる。
8. 「東亜新秩序」の内容と、それが日米関係に及ぼした影響を説明できる。
9. 「大東亜共栄圏」の内容を説明できる。
10. 新体制運動がめざしたこと、および大政翼賛会の特徴を説明できる。
11. 第2次近衛内閣の外交政策転換と、アメリカの対応を説明できる。
12. 日米交渉の推移を、第3次近衛内閣の総辞職まで説明できる。
13. 東条英機内閣の成立から、日米開戦までの推移を説明できる。
14. 翼賛選挙以後の国内政治体制を説明できる。
15. 大東亜会議の目的と、大東亜共栄圏の実態を説明できる。
16. 国民や植民地の人びとの動員について、説明できる。
17. 連合国側の3つの会議について説明できる。
18. 日本がどのように戦争を終結させたのかを説明できる。

 

前回(大正時代2)の解答

 

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1. 第一次世界大戦が終わってヨーロッパ商品がアジア市場に再登場したため、貿易は輸入超過に転じて戦後恐慌が発生した。そこから復興する間もなく関東大震災に見舞われた。日本銀行の特別融資や震災手形で一時をしのいだが、震災手形の不良債権化が日本経済の課題となった。


2. 台湾銀行の救済勅令案を枢密院が拒否したため、若槻礼次郎内閣が倒れて田中義一内閣が成立した。田中内閣はモラトリアムや日銀の救済融資で金融恐慌を沈静化したが、経済界の根本的再編はなされず、国際競争力不足による輸入超過が続いた。なお、1920年代をとおして、企業集中やカルテルの結成が進み、財閥は金融・流通面から産業支配を強化して政党と癒着した。


3. 普通選挙法成立後、社会主義勢力は、議席の獲得を目指して無産政党を結成した。第1回男性普通選挙では無産政党勢力が8名当選し、共産党も公然と活動を開始したため、田中義一内閣は三・一五事件で共産党員を一斉検挙して、治安維持法を改正して特高を全国的に設置した。また、四・一六事件でも大規模検挙を行った。


4. 田中内閣以前は、欧米との国際協調と対中国内政不干渉とからなる協調外交であった。それに対して、田中内閣は中国の権益を実力で守る方針をとった。ただし、欧米との国際協調は継続する姿勢をとり、不戦条約も批准した。


5. 欧米位諸国が金本位制に復帰していたため、日本も為替相場の安定による貿易の振興をはかって、金解禁をめざした。蔵相に井上準之助を起用して、緊縮財政をおこなって物価を引き下げ、産業合理化によって国際競争力の強化をめざし、1930年に旧平価、すなわち円高で金解禁を実施した。ところが、日本経済は世界恐慌と金解禁による不況の二重の打撃をうけて、昭和恐慌におちいった。


6. 昭和恐慌によって失業者が増大したため、浜口内閣は重要産業統制法を制定して、主要産業での不況カルテル結成を容認したが、これが統制経済の先駆けとなった。


7. 日中関税協定を締結して対中外交を改善し、ロンドン海軍軍縮条約に調印して対英米協調外交を推進したが、軍縮条約の調印に対して軍部などより統帥権干犯問題がおこり、浜口首相は狙撃されて首相を退いた。


8. 柳条湖事件を起こした関東軍は、満州占領へ軍事行動を開始した。第2次若槻礼次郎内閣は不拡大方針を声明したが、関東軍は戦線を拡大したため、若槻内閣は総辞職した。犬養毅内閣が成立した後も事変は収束せず、関東軍満州国を建国した。国際連盟リットン調査団を派遣して、満州国は日本の傀儡国家と認定した。国際連盟臨時総会で満州国承認撤回を求められた日本は、国際連盟から脱退した。その後の塘沽停戦協定によって事変は集結したが、日本は国際的に孤立することとなった。


9. 軍需と保護政策に支えられて重化学工業が発達し、産業構造が軽工業中心から重化学工業中心へと変化した。農業恐慌に対しては、時局匡救事業として公共土木工事で農民に現金収入をあたえ、農山漁村経済更生運動で自力更生をはからせた。


10. 天皇を中心とした天皇制国家のもとで、社会主義的な平等社会をつくろうとする国家社会主義が浸透するなか、社会主義共産主義思想は転向によって放棄されていった。思想・言論への取締は強化され、自由主義や民主主義的思想までもが弾圧対象となった。


11. 天皇機関説は、統治権の主体を法人としての国家に帰属させ、天皇は国家の最高機関として憲法に従って統治権を行使すると説明するものである。それに対して、統治権は神聖不可侵の天皇に属し、それは無制限であるとの反論が出た。天皇機関説が国体明徴声明によって否定されたことは、政党政治民本主義と並ぶ理論的な支柱を失ったことを意味していた。


12. 二・二六事件の結果、陸軍の統制派が国策の主導権を握るようになった。軍の要求を入れて成立した広田弘毅内閣は、軍部大臣現役武官制の現役規定を復活させ、帝国国防方針を改定し、「国策の基準」を決定して南進論と北進論を併記した。また、ソ連との対抗としてドイツとの連携を模索し、海軍拡張計画を推進した。

 

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