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大学受験 日本史 国公立2次向け 理解度チェックリスト(中世4)

以下の問に答えられますか

答えは次の記事で

 

1. 武士の立場からみた後醍醐天皇の綸旨絶対主義の問題点を説明できる。
2. 建武政権が短期間で崩壊した過程を説明できる。
3. 建武政権が崩壊した後、尊氏が持明院統を擁して京都に、大覚寺統が吉野に拠った経過を説明できる。
4. 南北朝の動乱が長期化した背景と経緯を説明できる。
5. 守護大名の権限が強化された背景と経緯を説明できる。
6. 国人一揆が形成される背景を説明できる。
7. 足利義満南北朝合体や有力守護大名の粛清を通して、強大な権力を形成し、公武両権力の頂点として安定した支配体制を築いたことを説明できる。
8. 室町幕府の職制と財政基盤を説明できる。
9. 14世紀の東アジアにみられる政治的変動に着目しつつ、交易形態の変化を説明できる。
10. 政権の安定性と倭寇出現の関係性を説明できる。
11. 冊封体制朝貢貿易の構図を説明できる。
12. 琉球の地理的条件に留意しつつ、琉球王国の成り立ちを説明できる。
13. 蝦夷ヶ島におけるアイヌと和人の関係性を説明できる。

 

前回(中世3)の解答

 

nobuta.onestep-mugi3.com

 

1. 私的貿易が盛んで商人が往来するなど、日本は宋との経済的交流を長い間続けてきており、宋を中心とする東アジア通商圏の中に組み入れられていた。また、僧侶も日宋を往来し、執権の北条時頼時宗親子が南宋僧の蘭渓道隆・無学祖元に帰依するなど、文化的交流も盛んであった。こうした宋との密接な関係性が、宋を侵略する元への回答に影響を与えたと考えられる。


2. 文永の役において、元・高麗軍は対馬壱岐を陥落させて、博多湾に上陸した。ドラを合図に集団で行動する元軍に対して、伝統の一騎打ちを挑んだ武士は討死をかさねて、大宰府付近まで撤退した。ところが、夜襲を恐れた元軍は船に戻り、翌朝になると姿を消していた。
文永の役の後、日本は異国警固番役を強化して、石築地を博多湾沿いに構築した。元は南宋を滅ぼして、再び日本征服を目指した。
弘安の役において、元は14万の大軍を率いて九州北部に到達したが、博多湾沿岸への上陸をはばまれているあいだに暴風雨がおこって大損害を受け、撤退した。


3. 高麗の軍事組織である三別抄は国王が元に降伏したあとも、朝鮮南部で抵抗を続けていた。三別抄は鎌倉幕府に援助を求めるが、幕府がこれを拒否したため、1273年に敗北した。そして、三別抄の乱を元が鎮定した翌年に文永の役がおこり、南宋を滅亡させた(1276年)のちに、弘安の役がおこった。二度にわたる元の襲来の失敗は、元に征服された高麗や南宋の人々の抵抗によるところもあった。


4. 異国警固番役に引き続き九州御家人を動員した幕府は、非御家人の武士を動員する権利を朝廷から獲得して、西国一帯に幕府勢力を強めていった。


5. 蒙古襲来を機に、北条一門は九州を統括し、多くの国の守護に任じられた。北条氏の権力は拡大され、なかでも家督をつぐ得宗の勢力が強大になった。それにともなって、得宗の家臣である御内人御家人の対立が激しくなった。
北条貞時の時代に、内管領平頼綱が有力御家人安達泰盛を滅ぼすと、貞時はその頼綱を滅ぼして幕府の全権を握った。
こうして、得宗の勢威のもとで御内人や北条氏一門が幕政を主導する、得宗専制政治が始まった。


6. 農耕生活が始まると集落や聖地からなるグスクが形成され、土地・水などをめぐる争いが起き、その指導者である按司が成長した。争いがすすむに従い、石垣による城が作られるようになった。交易が始まると良港をもつ按司が勢力を拡大し、三山に統合されていった。


7. 古代の続縄文文化から、擦文文化・オホーツク文化を経て、13世紀にはアイヌの文化が生まれた。アイヌ津軽の十三湊を拠点とする安藤氏と交易を行った。


8. 御家人は分割相続によって所領が細分化していくなか、貨幣経済の発展に巻き込まれた。また、蒙古襲来の恩賞が不十分であったため、窮乏していった。この動きにともなって、女性の地位も低下の傾向をみせ始めた。女性に与えられる財産が少なくなり、本人一代限りでその死後は財産を惣領に返す約束付きの相続(一期分)が多くなった。


9. 幕府は永仁の徳政令を出して、御家人の所領の質入れや売買を禁止して、それまでに質入れ、売却した御家人領を無償で取り戻させて、御家人が関係する金銭の訴訟を受けつけなくした。しかし、債権を否定された非御家人や借上は損害を被り、御家人への融資を渋ることになった。その結果、困窮御家人はかえって苦境に立つこととなり、状況を察した幕府は、翌年に徳政令を撤回した。


10. 広い階層を対象とする新しい仏教の必要性に応じて、仏教者が庶民でも実行できる、易行・選択・専修を説いたため。


11. それまで祈禱や学問中心だった旧仏教側も、新仏教の広まりをみて庶民との関わりや、元来の戒律の遵守が重要だと考えたから。


12. 時代の変動を目の当たりにした人々の間に無常観が広がり、観念的な美を追求するものも現れた。また、武士の活躍を描いたものは、字を読めない人びとにも親しまれた。


13. 没落する公家のあいだで、過ぎ去った良き時代への懐古と尊重の気風が高まったから。


14. 民衆に教えを広めるために制作された。


15. 後嵯峨法皇が亡くなったあと、天皇家持明院統大覚寺統に分かれて争った。幕府はその争いの調停を行い、その結果、両統が交代で皇位につく両統迭立がとられるようになった。両統迭立にしたがって即位した後醍醐天皇はこの状況をきらって親政を開始して、皇位の安定をはかるために、積極的に天皇の権限強化を推し進めた。


16. 後醍醐天皇の皇子の護良親王楠木正成らは、悪党などの勢力を結集して蜂起し、幕府軍の指揮官として機内に派遣された有力御家人足利尊氏も幕府に反旗を翻した。

 

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