日本史学習・英語学習 byオンラインスクールOneStep

上を目指す勉強を 子どもにも 自分にも

大学受験 日本史 国公立2次向け 理解度チェックリスト(中世5)

以下の問に答えられますか

答えは次の記事で

1. 惣村が特に畿内で発展した理由を説明できる。
2. 惣村がもつ自治機関としての組織・構成員・規約を説明できる。
3. 4代将軍義持と6代将軍義教の施政方針と、反乱・変事を説明できる。
4. 室町幕府政治と土一揆の関連を、土一揆発生の背景・蜂起時期・要求などから説明できる。
5. 応仁の乱の背景と経過に留意しつつ、支配層の分裂や弱体化が京都の荒廃をまねいたことを説明できる。
6. 応仁の乱の歴史的意義を説明できる。
7. 山城の国一揆・加賀の一向一揆の背景と結果を説明できる。
8. 農業生産拡大の背景を説明できる。
9. 農業生産拡大・商品作物の栽培品種拡大・商品作物の栽培量の拡大が及ぼした影響を説明できる。
10. 手工業・遠隔地取引の発達の影響を説明できる。
11. 流通や貨幣経済の進展にともなう、金融関係業者の様相を説明できる。
12. 南北朝文化の背景を説明できる。
13. 南北朝文化の特徴を、伝統文化の否定と、正統性をもとめる動きから説明できる。
14. 北山文化の特徴を説明できる。
15. 禅宗が幕府の保護と統制を受けるなかで、文化におよぼした影響を説明できる。
16. 東山文化の特徴を説明できる。
17. 庶民文化の興隆を説明できる。
18. 地方都市に都の文化が広まった理由を、都からの文化人の流出という面と、地方における文化人の受容という両面から説明できる。
19. 宗教界の再編成を、上層階級の没落の影響から説明できる。
宗教界の再編成を、曹洞宗日蓮宗浄土真宗の発展から説明できる。

 

前回(中世4)の解答

 

nobuta.onestep-mugi3.com

 

1. 権力の天皇集中を理想とした後醍醐天皇は、武士にとって最も重要な土地所有権の確認には綸旨を必要とするという方針を打ち出したため、所領裁判が滞った。ちまたでは偽綸旨が横行し、武士社会の慣習が無視された綸旨が出された。


2. 建武政権が行った、武士社会の慣習を無視した裁判や不公平な恩賞は、武士の不満をまねき、即席の政治機構と人間対立は、政務の停滞や社会の混乱をまねいた。こうして、建武政権は急速に人びとの信頼を失っていった。こうした状況のなか、足利尊氏中先代の乱を契機に反旗を翻したため、建武政権は瓦解していった。


3. 足利尊氏持明院統光明天皇を擁立して、建武式目を発表した。大覚寺統後醍醐天皇は京都から吉野に逃れて、自身が正統であることを主張した。


4. 優勢であった北朝が内部分裂して観応の擾乱がおこり、北朝の尊氏派と北朝の直義派、および南朝方の三者が、10年余りも離合集散を繰り返したため。また、武士社会では惣領制が解体しており、単独相続が一般的になっていた。そのため、各地の武士団は分裂して対立し、一方が北朝につけば反対派は南朝について動乱を拡大させた。


5. 南北朝の動乱のなか、幕府は地方武士を動員するために守護の権限を拡大した。鎌倉時代後期に刈田狼藉の検断権を得ていた守護は、使節遵行権を与えられ、さらに半済令によって一国内の荘園や公領の年貢の半分を挑発する権限を認められた。守護は侵略した荘園公領を武士に分け与えて武士を被官化し、守護請も行われた。守護は国衙の機能も吸収して一国全体におよぶ地域的支配権を確立して任国を世襲するようになり、守護大名となった。


6. 地頭など、在地の領主は国人とよばれるようになった。国人は自立の気質が強く、自主的に相互間の紛争を解決したり、農民を支配したり、守護に対抗するために国人一揆を形成した。


7. 南北朝の合体を達成した足利義満は、朝廷に対しては京都の施政権や段銭賦課権を吸収して花の御所を造営し、武士に対しては土岐康行の乱・明徳の乱応永の乱と、有力守護大名の勢力を次々に削減していった。義満は武士の頂点たる征夷大将軍を辞任した後、朝廷も武士も含む頂点である太政大臣に就任した。義満は出家した後も、幕府や朝廷に対して実権をふるい続けた。


8. 管領は将軍を補佐する職で、細川・斯波・畠山の三管領から交代で任命された。侍所は京都内外の警備や刑事裁判を司り、赤松・一色・山名・京極の四職から任命された。これらの有力守護は在京して幕政の運営にあたったが、一般の守護も両国は守護代に統治させて、自身は在京して幕府に出仕した。
財政面では、土倉役・酒屋役・関銭・津料・日明貿易抽分銭など、経済・金融活動からの収入も大きかった。国家的行事の際には、守護を通して全国的に段銭や棟別銭を徴収した。


9. 元とは国交を結んでおらず、民間船の往来があった。元を北方に追い戻して建国された明は、朝貢国以外とは通行しないという海禁政策をとったため、足利義満朝貢形式で貿易を行った。朝貢貿易では、明での滞在費や運送費はすべて明側が負担したため、日本側の利益は大きかった。


10. 鎌倉末から南北朝期における日本の混乱が前期倭寇を出現させ、前期倭寇は明や朝鮮が建国されて南北朝内乱が集結すると、沈静化していった。東アジアで交易の需要が拡大してくると、勘合貿易などではその需要をまかないきれなくなり、中国南部の商人による密貿易が盛んになった。こうした武装した中国人密貿易者も倭寇(=後期倭寇)とよばれた。


11. 中国皇帝へ貢物を奉って朝貢して臣下の礼をとる周辺諸国の君長に対し、皇帝は国王に封じて返礼として回賜品を下賜するという、中国を中心とする国際秩序を冊封体制という。明は冊封体制の復活をめざして、周辺諸国に対して通交を求めた。


12. 日本・明・東南アジアの中間にある琉球王国は、明の海禁政策のもとで、中継貿易で繁栄した。


13. 蝦夷ヶ島南部に進出した和人が、道南十二館を拠点としてアイヌと交易した。

 

その他受験生お役立ち

①日本史系ツイッターbot
「日本史 受験基本用語bot」→ https://twitter.com/botby11
「日本史 受験標準用語bot」→ https://twitter.com/botby12
「日本史 私大受験用語bot」→ https://twitter.com/mastedtei
「日本史 雑学・小ネタbot」→https://twitter.com/botby13
 
②受験生の質問を受け付ける配信
火・水・木・土で、私が配信可能なとき、22:00~24:00の間に1時間くらい
 
③高校生向けオンライン日本史クラブ
 
高校生向け日本史クラブ紹介動画(東大・難関大攻略編)

のぶたの「誰も得しない日本史」シリーズ

ブログ「誰も得しない日本史」
 
Amazonで電子出版もしています